雑談

車 – “大切なもの”との共棲をどうするか – エスノグラフィー事例

これはもう十年以上前のことだが、車の使用シーンの実態を生活日記で追跡していた時のことだ。五〇代の女性ドライバーの車の利用は、極めて頻度の高いものである。1日の中でも2〜3回は使われている場合が多い。午前中ちょっと買い物に出かけては昼に家に戻ってきたり、また午後からはボランティア先に出かけて行ったりと、短い走行距離のチョコチョコ利用なのである。

クルマの利用シーンとして、ペットを獣医まで連れて行くシーンも時折出現する。目的は年に1回のワクチンの注射や定期検診などである。ペットは健康だから、このドライブシーンに彼女はほとんどストレスを感じていない。頻度としては「異常値」にあたる出現の仕方であるが、頻度高く繰り返されている日常的な車利用の一つとして整理することができる。

ところが、ある一人の女性ドライバーの日記に、毎日ペットの犬を獣医に連れていくシーンが突然登場した。一五歳になったラブラドールが調子を崩して、急速に病状が悪化していったのである。このワンちゃんを車に乗せて獣医にまで連れて行くのが一苦労なのだ。後足が弱ってしまっているので、自力で車に乗ることができない。セダンの後部座席に介助しながら乗せるのは大変だし、獣医に着いてからも降ろすのに一苦労。人間が座るのには適正な後部座席も、大型犬が安定して横たわっているには極めて不適正なのだ。この時ほど彼女は自分の車がセダンであることの不具合を恨んだことはなかったそうである。

そもそも車は犬にとって本当に乗り心地の悪い乗り物なのだ。ましてやシニア犬になり、病気がちになったりすると、飼い主はそれを痛感することになる。犬にとってバリアフリーな車空間とはどんなものだろう。犬に負担をかけず乗り降りがスムーズにできること、乗っている時にも安定していて安全性が保てるようにケージがセットしやすいことなど。そんな車は、健康な犬にとっても使い勝手のいいもののはずだ。まさに犬のためのユニバーサルデザインである。

病気の犬を車に乗せるという生活シーンは「異常値」にあたる訳だが、視点を変えれば市場の大きな予兆になっていた。人間のハンディキャップに対応した車はある。でもペット、とりわけ犬のことを考え抜いた車はそれまでなかったのだ。

正確なデータはなかなかなかったが、全国に千五百万頭を超えるペットの犬がいることは確実であった。また、登録犬種の時系列の推移をみると、約十年前でも大型犬を飼い始めてから十年以上経つ世帯の数が増えていることが推定できた。つまり、ペットの犬たちも人間と同様、シニアが大幅に増大していく高齢社会に突入していたのである。そして、飼い主が何よりも我が家のペットのために、お金をかけてもよいと思っているのは明白であった。

二〇一二年にオープンしたウェブサイト「トヨタドッグサークル」は、こうした予兆にその後対応した動きの一つである。「イヌにやさしいクルマ選び」を唱うこのサイトでは、愛犬目線でのクルマやカー用品の紹介をはじめ、イヌとの暮らしやお出かけのための施設やイベントの情報などが掲載されている。例えば、3列シートのミニバンであるエスティマは、2列目のシートをスライドすることで、大型犬2頭が横になれるほどのスペースが確保できることを売りにする。

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また、高級SUVハリアーのドッグフレンドリーポイントは、後席用のエアコン吹き出し口が標準装備され、アイドリングストップ中でも冷風を送り続ける機能があるので、暑がりのイヌも快適に過ごせることだ。

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こうした事例からもわかるように、「異常値」から新しい先行指標を見つけ出し、仮説を組み立てることはきわめて重要なのである。