雑談

潔し、男前な、ほやほやカメラマン

 

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Room No.014:潔し、男前な、ほやほやカメラマン(30代 女性 同居世帯)

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今回の訪問先は世田谷区深沢。駅で言うと田園都市線駒沢大学駅や東横線都立大駅が最寄りだが、徒歩ではかなり遠く、バスなどに乗らないとちょっとつらい。一緒に住んでいる彼とは半年ほど前に知り合い、彼女の家に住み始めた。カメラマンとしては独立したてでこれからが正念場。ここに至る人生、かなり思い切りよくそれまでのものを捨てて、場面を変えてきた。自分では「我慢ができない性格」というが、はたから見ると潔い。その男前人生をご紹介する。

 

親への反発から一人暮らし必須の大学へ

出身は千葉県だが、学校は中学から東京に通っていた。父は職人で母も仕事をしていた。よく旅行をする家族で、仕事場にもしばしば連れて行かれた。父親はアウトドア好きで、夏は海に行き、冬は山に行った。海辺で2週間キャンプとか、学校休んでハワイ旅行などをしたこともあり、一つの場所にじっとしていない家族だったという。

少し年の離れた姉がモデルをしていて、海外のファッション写真集などをたくさん買っていた。高校の頃それを見て、すごいな、とあこがれを抱いた。それがきっかけで大学では写真学科に行きたかったが、親に反対されて断念した。姉が芸能系で育てられた一方で、妹には普通の勉強で生きて欲しかったらしい。しかたなく普通の学科の大学に行ったが、悔しいので都内だが実家からは絶対通えない大学に入り一人暮らしを勝ち取った。

大学では写真を学べなかったものの、専門学校で写真を勉強しようと入学したが、3日で辞めてしまった。

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仕事机

「入ってすぐ宿題が出たんですが、あれを撮れこれを撮れ、ということばかりで、私は写真に対する考え方を知りたいと思って入ったのになんだ!と感じて辞めちゃいました」

払い込んだ授業料などは戻ってこなかったという。すごい思い切りだ。授業内容がずさん、とかしんどい、とかではない。考え方が合わない、とお金をきにせず辞めてしまうのだから男前だ。

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仕事部屋。観葉植物が好きでいくつか置いてある。パネルは自分の作品
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仕事部屋の植物たち

その後、在学中に編集プロダクションのカメラマンの仕事をしたが、1年ほどでけんかしてやめた。

「オートで撮ることしか知らないのに、社員になってファッション系の写真撮ってたんですが、あんまりおもしろくなくて。いまから考えると当たり前なんですが、こう撮れ、とかああ撮れとかうるさいな、と思って」

まあなんと鼻っ柱の強いこと。その後写真とはしばらく縁が切れる。

世界中を旅した時代も

その後の学生時代から卒業してしばらくはバックパッカーをして過ごす。バイトしてお金を貯めて、世界中を回った。チベットで鳥葬が見たい、と思って中国に行ったりもした。高山病になったりして結局鳥葬は見られなかったが、星がとってもきれいだった。パリに行ったときは墓地の写真を撮ることにはまった。

いまでも、撮る写真が外国っぽいと言われることがある。不思議な世界観の写真を撮るなどとも言われる。それはこうした時の経験が出ているのかな、と自分では感じる。

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テレビは持っていない。実家にいるときから見なかった。DVDとかはパソコンなどで見る。

その後卒業してからはいろんな会社を転々としつつ、ウェブデザインの勉強を重ねて、デザイナーとして働くようになった。最初は画像編集ソフトの知識を生かして携帯サイトの画像編集のアルバイトから。派遣、正社員などいろいろ経験した。知識は社会人が行くようなスクールで身につけた。10年ほど前で、そのころはウェブの仕事は身入りが良かった。フラッシュなどの技術があると結構生きて行けたので、7年ぐらいウェブデザイナーを続けた。

しかし一方で激務が続いた。最後の会社では人手が足りなくて家に帰れない日が続いたり、小さな会社なので、社長の理不尽な怒りで「描き直し100回!」みたいなこともあった。

「久しぶりに家会社から自転車で家に帰る途中、行き交う自動車を見て『ああ、ここに突っ込んだらもう描かなくていいんだ』という思いがふと頭をよぎって、わ!これはやばいやばいって気がついたんです」

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家の作りはちょっと古い。収納は押し入れだし、左は何と床の間。使い方に苦労している

「やっぱり好きな写真をやろう!」

こんな状況は早く抜け出して、自分のやりたいことをやる人生にしなくては、と思った。するとやっぱり写真がやりたいことに気がついた。昔の写真仲間がいい写真撮ったりしているのを見て羨ましくも感じていた。今しかない、と会社を辞めてまた写真をやることにした。

まずそのための準備を始めた。1年間働いて生活費を貯めた。弟子入りすると収入がなくて困ると聞いたからだ。運転免許も持っていなかったので取った。

そして弟子入りするカメラマンを探した。作品を見て、これはと思った人の所にお願いに行った。連絡取れない人の所にはアポなしで突撃した。2、3か月で30人ぐらいに会った。話を聞くと大変そうに思うが、いろんな人に会うのは楽しかったという。またその過程でカメラマンやその業界の様子もわかってきた。やっぱり人間関係の世界だなあと実感した。

怖いのは自分の写真を見せるとき。写真の才能にはある程度自信はあったが、作品自体に自信はないし、そもそも写真を人に見せることがなかった。しかしそうした活動が実って、師匠に出会うことができた。

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押し入れアップ。隙間が多い。持ち物は少ない

弟子入りしたカメラマンはファッションや音楽系の撮影が中心。師匠はいい人だったし、写真に対する姿勢は尊敬できるものだったが、実は師匠のする仕事現場は嫌いで、1年ほどで辞めたくなった。特にファッション業界の仕事がいやだった。

そんなこともあって商業写真ではなく写真作家で生きていこうと考え、2年は頑張ることにていたのだが、ところがそうこうするうちに商業写真も楽しくなってきた。

商業写真の楽しさにも気づく

「知り合いから仕事を頼まれて撮影したときに、クライアントとかモデルとかが考えていることをきちんとくみ取って、やりとりして工夫をしていくと、あれなんだかおもしろいな、って思えるようになったんです。それまでは師匠を通してしか仕事に対していなかったのが、自分が直接対して見ると、ああ師匠はこう感じながら仕事をしてたんだ、ってわかってきたんです」

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ユニットバス。さっぱり。
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シャンプーたち

商業写真、芸術写真といった区別をしなくても、同じ写真として対すればいいと思えるようになった。デザイナー時代を振り返ると、愛がなくても仕事はできたが、写真は力の注ぎ方で変わってくる。仕事の注文を楽しんだ方がいいんだな、と感じるようになった。

カメラマンの修行というのは徒弟制度のようなところが多いらしい。その修行期間はは意外と短くて2、3年が普通だという。その間、お給料をくれるところもあるが、だいたいはお小遣い程度。彼女もアルバイトをしながら師匠の仕事を手伝っていたという。仕事は撮影のアシスタントや、撮影場所までの機材運搬、運転などから、デジタル写真のデータ補正、フィルムなら現像、プリントなどとあるが、彼女の師匠はなんでも自分でやりたがる性格で、さほど仕事がなく、不定期だった。

独立というのもあいまいで、弟子から「辞めます」という場合もあり、師匠から「辞めてくれ」というのもあり、辞め方もすっぱり出入りしなくなることもあれば、なんとなく独立かなあ、という雰囲気になって仕事が減っていくような場合もあるという。彼女の場合は後者なので「いつ独立?」と言われても「去年の夏から秋ぐらい」とあいまいにしか答えられない。

「うちは珍しいんですが師弟関係が仲がいい事務所なので、3年もいました。いまでも時々仕事をもらってます。師匠とははっきり『独立だね』なんて言葉は交わしてません。『もう3年だねえ』みたいなあいまいな会話だけで。ただアルバイトをやめたので『写真一本でいくんだね』といった話はしました」

師匠がファッションと音楽関係のカメラマンだったので、そちらの分野でやっていきたいが、まだ本格的な営業はしていない。今は知り合いから回ってきた仕事を、経験の少ないブツ撮りでも風景でも、なんでも引き受けている。

「理想的にはやはり写真作家になりたいので、公募展で当たって有名になって、ギャラリーで写真展示して、写真集が出たりするといいんですがねえ」

1か所平均1年強で引っ越し

さて私生活では引っ越し魔だ。家を出てから借家住まいだが、借家の更新をしたことがない。引っ越ししたいわけではないがたまたまそうなってしまっている、と本人は言う。大学入学時の八王子から始まって、次に下北沢。しばらく実家に住んで、二子新地、桜新町、上町、松陰神社、恵比寿、中目黒、駒沢と移ってきた。実家住まいを除いた10年強で9か所。今の家も5月解約予定で1か所平均2年住んでいない。1年強ぐらいだ。

一番短い桜新町は、同居していた彼と別れて一時的に住んだので、2か月だけ。敷金などもきちんと払った。もったいないように思うがあんまりお金に執着がないのだという。

「あんまり我慢ができなんです。いやだと思ったら『もういやーー』ってなっちゃうんです」

ただ、子供の頃から旅行が多かったりしたことも、無意識に引っ越し好きになっているのかな、とも感じる。引っ越しに限らず、ひとところへのこだわりや執着がないのも、子供の頃培われた性格かもしれない。でもつきあう男性は違う、と彼女は言う。

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台所全景。ウオーターサーバーは彼が持ってきた。左端には本棚も。
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台所にあるので本棚と食器が同居している

写真家になるために10年越しの彼と離別

「高校から10年つきあっていた彼がいて、すてきな人で結婚しようと思ってたんですが、写真をもう一度やろうと思ったときに、この人と一緒のままだったら幸せすぎて写真に身が入らないと思ったんです。それで、私は写真をやるんだー、と思い切ってある日突然別れました」

親も彼も、周囲も当然結婚するものだと思っていたので、とても驚かれたという。一緒に住み始めて1年ぐらいだった。

「でも全然後悔はしてません。まあ結婚していたら普通に幸せだったろうと思いますけど」

男前である。

今は犬も同居している。東日本震災のすぐあと、3か月の子犬をもらった。もらったのがきっかけで、当時つきあっていた2番目の彼と別れた。震災後に人生についていろいろ考えていたところ、どうも男より犬の方が素直で大事だな、と感じてしまった。

今の彼と知り合ったのは去年の夏頃。つきあいだした頃、彼は忙しくて家にほとんど帰っていなかった。だったらもったいないから引き払ってうちへ来れば、ということになった。仕事はミュージシャンをしながらバーの経営などをしている。忙しいので、一日デートするなんてことはほとんどない。

休みの日には昼間からお酒飲んでたりしてる。家でも飲むし外でも飲む。外だと中目黒、恵比寿、三軒茶屋とかが多い。行動エリアは東急沿線が多い。家賃は高いが暮らしやすいし、友達も多い。

「彼はなんかおもしろいと思うことをどんどん道楽のようにやってますね。あんまり儲からないんじゃないかなあ。お金を稼ぐためじゃないんですね。まあ好きにしてって感じですが」

「結婚の必要性がわからない」

あまり結婚とかは考えていない。

「彼は結婚しようって言うんですが、私はなんで結婚しなきゃいけないのかがわからないんですよ。自分には結婚する理由がない。つきあっているだけじゃだめなの、と思います」

ただ子供を作るなら結婚は必要かなとも思うが、子供をそんなに欲しいとは思わないし、まだ独立したばかりでやりたいこともある。子育てはお金もかかる。当分は写真作家として成功する道を邁進するつもりだ。

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料理が趣味でよく食事を作る。朝食もだいたい料理を作る。プロっぽいなべが並ぶ台所。
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台所の角の下に回転式の収納があり、たくさんのスパイスを入れるのに重宝している。
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たくさんの調味料が台所に並ぶ。
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冷蔵庫はそれほど大きくない。10年つきあった彼と別れる前に、親に嫁入り道具的に大きな冷蔵庫を買ってもらったことがあり、捨てるのに苦労した。それ以来大きな冷蔵庫を買うのは罪悪感がある。
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冷蔵庫内もきちんと整理されている

取材後記

本人も似たようなことを言っているが、話していると、なんだかアメリカ人と話しているようだ。自分の主張や考え方を極めて大事にする。それに合わないものはとっとと切り捨てる。それが損失を伴っても気にしない。あくまで大事なのは自分の生き方を尊重することだ。正しいかどうかは必ずしも重要ではない。だいたい何が正しいかなんて絶対的なものなどはない。だとすれば大事なのは自分の判断だ。う〜ん、アメリカ〜ン。学生時代に最初に写真の仕事をしたときには、カメラの操作方法すらよく知らず、知ってる人間にセットしてもらってシャッターを押すだけ、といった状態だったという。おぢさんはそんな恐れ多いことおっかなくってとてもできないが、そんなことも、好きな写真を仕事にできるなら意に介さない。しかしそれから紆余曲折、猪突猛進してきて、結局希望したカメラマンとしての独立を果たし、それで生計を立てていくのも目前という所まで来た。なせばなる、である。地道にコツコツとか、そういう日本的美徳もいいが、こういう生き方もアリなのであろう。