雑談

ケリー君

「お天道様が見ている」なんていって、子供のころはよく叱られた。
子供のころは、その「お天道様」の得体が知れなさ加減が怖くて、怖くて。

 

で、親父なんかに「なんだよ、それ、どこに住んでんの?」
つって聞くと

「空から見てる」なんて言うもんだから、もっと怖くて。

立ちしょんしてるとき、雪掘って野グソを埋めているとき、ちょっとエロい妄想をしたとき、
チラッチラ、チラッチラ、空を見上げた。

「お天道様が見てるんじゃねえか?」と思って。

小学校高学年になると、それは、クリスマスのサンタみたいなもんで

「オトナの子供だましあるある」

でアール。

と思い至るのでアール。

実在しねえじゃねえか、と。

自分が目の届かないところで悪さすんじゃないよ、
つって戒めるための口実だと。

つまり、お天道さまは、お日様のことかと。
どこいってもついてくる、どこの空でも見えるお日様とリンクさせてんのかと。

「お天道様がみている」≒「お日様がみている」
つって。

でも、うまいこといってるけど、夜はどうすんでい?フリーダムかへ?
ツメが甘いじゃねえか、なんて気づいて

いつしか、お天道様が、脅威じゃなくなった。

小学校の頃、
ケリー君と呼ばれる、生粋の日本人の同級生がいた。

彼は、「赤ちゃんのカワイイ」スキルを小学5年生ぐらいまで
維持しており、女の子にモテモテだった。

プクプクしていて、ほっぺ真っ赤。
つぶらな瞳なのに、機敏な動きで野球も得意。

ケリー君は、頭もよくスポーツも出来たので、女の子にもモテモテ。
でも、中学、高校に進むにつれて

思春期に、少年から大人に変わるゥ

に、つれて。

その状況は変わった。

いわゆる都市伝説になっている、
「小学校時代モテ期を使い果たす人」

であったように思う。

おヒゲが生え、声変わりすると、「赤ちゃんカワイイスキル」が衰えていった。
というより、「赤ちゃんカワイイスキル」がアンバランスさを醸成してしまった。

で、ケリー君本人も、「なんか違う」と思ったんだろうなあ。

そういえば、特に、理由はないけど「なんか違う」つって彼女に振られた奴いたなあ。
すみません、話がそれました。

で、それからケリー君に異変が起きた。
モテ期をすぎたケリー君は、人が変わったようだった。

端的に言うと、「自慢話が過ぎる男」に変貌した。

その自慢話はグングンにエスカレートした。

兄ちゃんに、彼女ができて美人だの。

その兄ちゃんの彼女が、食べ物の好き嫌いが無いだの。

パワプロ(野球ゲームね)で、自分を出演させ打率が4割だの。

「猫ふんじゃった」を30秒で弾けるだの。

自分は晴れ男だの。

それは拡散しスピートをグングンあげた。
まるで暴走トロッコのように。

もう、彼に会わなくなって20年以上経つ。

いま、ケリー君はどうなっているか知らないが
数年前に田舎の同級生にケリー君の近況を聞いたときには、

「彼の自慢話は噺家の師匠級になっておる」

ということであった。

ふと、思ったのだが、ケリー君は
「お天道様は見ている」つって、親の怒られたことがあるのだろうか?

じつは、「お天道様」はいるかいないかわからない存在。
そう、気づいてからも、なんだかんだで、僕の中に「誰かに見られている」感というのは身体に沁みついてしまっている。

だから、人様に迷惑をかけそうな自分がいたときに、
「お天道様」が抑止力になっていたりする。

仕事においても、逃げたいことが多々あるが
「お天道様が見ている」つって、やり切って「お天道様ありがとう」
なんて無意識に思ったり。

ケリー君は、「お天道様」つまり、誰かが必ず見ている、見てくれている。
という意識がないのかもしれない。

だから、

自分で、自分を自慢することで、誰かに自分が生きていることを
伝えたかったんじゃないかと。

自分で自分を自慢しないと、自分が消えてしまうんじゃないかと。

小学校時代に、あまりに万能であったため、周りにチヤホヤされ過ぎた。
それが急に、裏切られたようになくなって、

誰も何も、自分を見ていない。

なんて、不安で不安でしょうがなかったんではないだろうか?

そうだとしたら、
僕は、いつかケリー君の再会したら言ってあげたいと思う。

大丈夫、お天道様が見ているよ。