雑談

きりたんぽ鍋と、向き合えた日

やはり「きりたんぽ」の話をせねばなるまい。
僕は、小学校2年生のとき晴れて「きりたんぽ屋」の息子となった。
 
そもそも「きりたんぽ」という、ある種卑猥な(考えすぎか?)名称である、1食材が、壇蜜のおかげか、佐々木希か、はたまた藤あや子か、桜田淳子か。
いやいや、なぜか知らんが、近年そこそこ全国的に知られるようになった。
 
まあ、地元秋田では、むろん「きりたんぽ」は絶対的存在であり、「ハタハタ」「なまはげ」と同列にある“誇り”ではある。
あと、ババヘラぐらいか。
 
しかし、子供ながらに家に帰ると、楳図かずおが描くがごとくの白目むいた鶏が、血抜きされ庭に吊るされておる中、
 
じいちゃんが、元気いっぱい
「今日は、比内地鶏のきりたんぽ鍋じゃぞい!」

「ターキーのクリスマスパーティーざます!」
的なノリで言われても、深くため息をつくしかなかった。
 
ボクにとっては、「きりたんぽ鍋」は、ご馳走ではなく
冬の儀礼的な、秋田っ子であることの踏み絵的料理であった。
 
ここで、知らない人のためにいっておくと
「きりたんぽ」の醍醐味は、やはり鍋であり、しかも、影の主役は
その出汁となる「比内地鶏」なのである。
 
「比内地鶏」は、その筋肉質な肉質がゆえ弾力がありすぎて
焼き鳥にはむかない。しかし、醤油ベースで出汁をとったそのスープは
 
奇跡の味がする。
 
 
話を戻す。
 
わが実家は、稲作農家であり、自分の家での食用として比内地鶏を飼っていた。
しかし、なぜか親父が思い立ち、比内地鶏ときりたんぽのセット販売を始めたのである。
 
それがヒットした。
 
自称、親父が発明したという「ガラ玉(鶏ガラと肉をミンチしてボール状にしたもの)」
それをきりたんぽ鍋にいれて出汁をとると
 
奇跡の味がする。
 
実家の「きりたんぽ鍋セット」は口コミでひろがり、
最盛期には、京都、東京あたりからも
注文がくるようになり、テレビの「明るい農村」(だったと思う)にも
出演するなど、地味に地元有名人となっていた。
 
その秘密は、放し飼いにある。
 
何千近い比内地鶏を、山奥で放し飼いしていた。
その比内地鶏が放し飼いされている山に、
僕らは、「特訓」と称して出かけたりした。
 
しかし、半分野生化しており、比内地鶏の群れは、
猿山のように順位制がついていて、いくつかのグループがあり、
そのトップに君臨する雄鶏は、全身脂ぎっていて、ギロリとにらむのである。
 
僕らは、ジャッキーチェンの酔拳の構えはするものの、
 
「ココココケーッ!」
 
と雄鶏に一喝され逃げ惑うのであった。
 
さて。
 
というわけで、
 
・放し飼いの比内地鶏
・自家製のきりたんぽ
・とれたて舞茸をはじめとした地元野菜
・有精卵のタマゴ
・ガラ玉
 
などをパックにしたきりたんぽ鍋セットが売れ、そして僕も、「きりたんぽ」のおかげで大学まで行かせてもらった訳である。
 
それでも、僕は「きりたんぽ鍋」はそんなに好きになれなかった。
「ただの田舎料理だ、スパゲッチーの方がうまいべよ。」と。
 
ここ東京にくると、みんなグルメで
東京出身の先輩は「とんかつなら、○○がうまいよ」
「ラーメンは○○だな」といい。
大阪出身の先輩は「焼肉を語るには、マルチョウ」
「お好みは、やな」「たこ屋きはやっぱり○○」と食文化を語る中で、
 
秋田は何あんの?
 
と問われて、ちっちゃい声で「きりたんぽ…っす」
と言った日。
 
東京出身の先輩と、大阪出身の先輩が「きょとん」とした日。
 
で、「なに、それ?ちょっと食わせて」
という流れになって、
 
こんな田舎料理、どうでもいいわ、「きりたんぽ」喰らえ!
で出した日、
 
東京出身の先輩と、大阪出身の先輩
総勢10数名が唸ったよ。
 
 
「なんじゃー!このちくわみたいな米の塊!」
 
「おんどりゃー!この醤油ベーススープ!」
 
びっくりしたね。
こんな田舎料理に、なぜ感動するの?と。
 
ある先輩は、残りのスープをタッパに入れて持ち帰ったよ。
 
僕も、東京きて久しく食さなかった
きりたんぽ鍋スープをこくんっと飲んでみたのさ。
 
地元で、あれほど、どうでもいいと思っていた
「きりたんぽ鍋」の味。
 
みんなが、うまいといったからではなく、
正直に、シンプルに味わったら、旨かった。
 
なんでだろう。
 
その時、はじめて「きりたんぽ鍋」に向き合えた気がした。
「地元秋田」が、なんだか「故郷秋田」に変わった瞬間だった。
 
現在では、東京の仲間と「きりたんぽ鍋」を、ちょくちょく囲んでいる。
 
そして、ことしも「きりたんぽ鍋」の季節がやってきた。
故郷の味である。そして、僕の家族の味でもある。