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“創造的な”エンジニアの人材育成論(後編)

正しい問題が発見できない大きな問題

人材を育成するからには、それではどういったスキルを身に付ければいいのかという模索になる。もちろん、技術者を養成するのであれば、技術教育は重要だ。プログラミング言語やアルゴリズム(解法)の取得、アーキテクチャの理解、起こりうる現実的なエラーへの対応、チームビルディングとプロジェクトマネジメントなど、教育カリキュラムとして大いに結構だ。しかしだ。それでは普通のありふれた聖堂が”歴史的大聖堂”に変わるような装飾は書けない。そもそも従来のITエンジニアは、ビジネスに対する関心が低い可能性が高い。これでは発注者の投げたボールは受け取れないだろう。

社員にビジネスに対する関心を高めてもらう方法に、”問題の発見”という感性を植え付けることである。経営者がビジネスの結果(果実)を欲がるというのは正しく、社員の目標もそれであるべきだ。組織は、最上位の目標に従って、実行部隊が手段を選び、その手段を目的化して、さらに下位の実行部隊が編成されていく。組織の機能のすべてが、正しく設定されていればまったく問題ない。しかし、皆さんの周囲でそのような企業体を見たことがあるのだろうか。要は、組織は問題だらけなのである。

さらに厄介なことに、その問題を特定(設定)できないのがもっと大きな問題となる。それは、Drucker氏の指摘した、”wrong qustion”である。


1つの簡単な実例を以下に示そう。ある食品メーカーの営業部隊が分析した結果から、自社の売上の多くが利益率の低い量販店に頼っていることが示されたとして、何が問題なのだろうか?彼らができることは、会社から与えられた商品を流通に対して商品に関わる良い情報を伝え、取引における経済的条件を交渉する商談だけである。


食品メーカーでは、毎年商品開発の計画が練られ、ある需要予測に基づいて工場での生産計画が練られ、必要となる食材・資材が計画的に仕入れられ、その他物流や広告宣伝など市場に投下される準備がされる。営業部隊が引き受ける仕事は、実際に市場の投下される段階で各流通企業との商談であって、目標に対して貢献できるのは、全体の何分の1かだろう。問題の所在は、ある時期に立てた「需要予測が楽観的すぎた」ことかもしれない、需要が外れた時に「生産量を柔軟に変更できない」ことかもしれない。組織的問題の本質は根深く、新任者が自分の手柄を立てるためにゴリ押しした計画そのものかもしれない。これらはシステム思考が指摘する、見えているのは”氷山の一角”なのである。

2つの重要な仕掛け

幸運にもいまの時代は、社内のインフラが進み、誰もがデータにアクセスでき、分析結果がリアルタイムで見えるようになってきている。創造的エンジニリングにおいては、あらゆる問題の発見ができるような組織を大横断するインフラが重要で、先に述べたように、正しい問題なくして正しい答えはないのである。このような環境を作るのは、企業に莫大な負担(コスト)がかかるので、まずは小さな大聖堂を建てることを目指すかも知れない。大きいに越したことはないが、企業にとって重要なのは問題の発見ができるインフラであるかだ。技術者にとっては、すぐにデータにアクセスでき→結果が見え→他者と交じって議論し→新たな視点を得てまた戻る、というサイクルがストレスなくできるかが、やる気にはとても重要だ。企業においては、そのような環境をどこまで作り出せるかが、人材育成に大きく影響すると考えて欲しい。

職場での環境と同じくらい重要なのが、技術者における、正しい答えを導き出せるリテラシーの存在である。従来の技術教育を中心としたカリキュラムでは、これから求められるスキルの20%しか得られないというのが、我々の実感である。技術が好きな技術者が、さらなる技術的革新に追い付くために、どうしても技術教育に目が行くのはわかる。だが、残念ながら、それでは組織が求める”正しい問題”は発見できないのである。一方で、問題が設定できれば解ける優秀な技術者は多い。そこでは、日本の教育システムの強みが活かせているのだと推察する。ただ我々の希望は、これからの企業が求めてやまない創造的エンジニアを育成していくことであり、実践的なoutputを重視した研修システムが職場の環境整備とともに統合されることが、重要だと言うことである。

(2023年11月14日 HRカンファレンスにおける講演にて)

“創造的な”エンジニアの人材育成論(前編)

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