雑談

都会と田舎の違い

田舎の人は、都会を恐れる。
田舎者である僕も、絶対「都会」には行きたくなかった。
 
だけど、どういう運命のいたずらか
20年近く都会に住んでいる。会社は渋谷にある。
 
店は無くいちばん近い自動販売機まで自転車で
5分という究極の田舎出身の僕が、今は青山を毎朝歩いている。
(冷静に考えると、滑稽かつ自分の偽物感に失笑する)
 
すっかり、「行き届いた便利さ」と「ちょうどいい人間の距離感」
がある都会暮らしになれ、絶対「田舎」には暮らしたくない。
となった。
 
当時、なぜ、あんなに「都会」を恐れていたのだろう。
単純に、目にしていないものの恐怖。噂に聞く異次元感はある。
 
しかし、本質的にはこういうことなんじゃないかと気づく。
 
田舎は、戸締りはしない。
玄関は、開けっ放しである。
下手したら、雷の日なんかは、近所の犬が家の中に逃げ込んでくる。
(そんな逼迫した日でも戸締りが甘いから)
 
前、田舎の両親に聞いたことがある。
 
「なんで、家にカギをかけないの?」
 
両親は、「近所に悪い人いねえべ」
と何の迷いもなく答えた。
 
んなことは、ない。
近所に、放送禁止系のおっさんいたりする。
柿の木にのぼって、降りれなくなってジャンプしたら、柿の枝が金玉袋に刺さって
それを自分で「痛で…痛で…」って抜こうとして抜けず、
救急車で運ばれた、という伝説の鼻垂れ少年もいる。
 
だのに、なぜ、(両親も含め)田舎の人は
ご近所さんを信用するのか。
 
それは、田舎の人間関係のスタートは「信用する」
から始まっているからである。
 
いや、そのコミュニティを維持するために
「信用せざるを得ない」のである。
 
みな、農作業も夏祭りも冠婚葬祭も、困ったさんの解決策も
みなが「自分ゴト」とし協力助け合って生きてきた。
 
「人を信用しないと」生きていけない文化圏なのだ。
 
ビジネスも「人を信用する」が前提にある。
田植え、稲刈り、商店街、町工場。
 
人の信頼がなければビジネスは成り立たない。
 
寄り添って、生きている。
だから、「家にカギをかける」という発想がない。
 
一方、都会暮らしは「家にカギをかける」は当たり前である。
近年、都会はますます「人を信用しない」ことがビジネスチャンスとなっている。
 
セキュリティ、パスワード、防犯、情報戦略。
 
つまり。
 
田舎は、「人を信用する」を始まりとし、
都会は、「人を信用しない」を始まりとする。
 
だから、「人を信用しない」文化圏に住む都会人を
田舎の人は、恐れるのである。
 
単純に、「辞書に書いてない」から。