雑談

エスノグラフィー事例:漁業のイノベーション

※この記事は、米国デザインコンサルティング会社IDEOから掲載許諾を得て、IDEOの事例からエスノグラフィのビジネス活用法を紹介する記事です。

 

 今回は漁業のイノベーションに関する事例を取り上げます。
 アメリカ西海岸における底魚を中心とした漁業(カレイ・ヒラメ・タラ・アンコウ等)には、いくつかの社会的課題がありました。

①魚の漁獲配分(計画的な漁獲、漁業ビジネス管理)
②漁業が行われている海の生態系管理(他種の魚が混じる混獲の防止)
③漁業の透明性(トレーサビリティ)

 ①~③に共通して必要なリソースは何でしょうか。
 IDEOのスタッフは、漁業の世界にイノベーションを起こすためのコンサルティングについて相談を受けた時、まず漁師をはじめとする漁業関係者の観察とヒアリングを行い、各ステークホルダーが求める情報は何か、整理を行っていきました。

 こちらの写真はSan FranciscoにあるIDEOのオフィスの近くで漁を行うJohnの漁船の写真です。このように実際の漁業の現場でどのような慣習があり、どのような課題があるかを観察することは、エスノグラフィの重要なポイントです。

fish1

 実際に、1日の漁が終わると、Johnは以下のような重要な情報とともに帰港することがわかりました。

  • 予定通り漁獲した魚の種類、サイズ、年齢
  • 予定外で漁獲してしまった魚の種類、サイズ、年齢(いわゆる混獲)
  • 上記を漁獲した位置情報(魚の生息地)

 しかしこれらの重要な情報は、ログとして記録されていないことも同時にわかりました。多くは漁師の頭の中にあるか、漁船のシステムに残っているかどうか、というところで、デジタルデータとして管理される状態になっていません。

 また、これらの情報を他の漁師仲間にリアルタイムに伝える仕組みがないため、他の漁師は口伝で聞かない限りは、自分で対象とする魚を探しにいき、Johnと同じように混獲してしまう可能性があるのです。また他の漁師の漁獲高や生息している魚のおおよその量が分からないため、必要以上に魚を獲りすぎることもあります。

 この状況は市場全体でも課題となっていることがわかりました。

 漁業組合にとっては、市場で売れる魚を計画的に確保したくてもその見込みが見えづらいという課題があります。また地球上の共有資源である海洋の様々な魚の生息地がわからないと、意図しない混獲が多発してしまいます。混獲された魚は大抵は網の中で死んでしまうか、海に戻されても傷ついたことによるダメージで元のように生息できないことが多いようです。そのため、海洋学者や漁業の監督官庁は、混獲は生態系に影響を及ぼす重大な課題と位置づけ、生息地や生態系の調査を行うなどできる限り混獲を削減する取り組みを行っています。

 合わせて、西海岸では、各漁師に対してどのような種類の魚を年間何トン獲って良いか配分を行う「個別漁獲割当制度(IFQ:Individual Fishing Quota Program)」と呼ばれる制度を導入しています。それだけに、誰が何の魚をどのくらいの量獲ったのか、というデータは管理上非常に重要なデータとなっているのです。

 しかし、漁業に関連するデータを保有している関係者はたくさんいるものの、デジタル化されていないものや、公開されていないデータが多くあるために連携できない状況にありました。下の図1のように、様々な団体が漁業関連のデータを個別に管理しており、欲しいデータを一気通貫して検索できる状態にはありませんでした。

図1 アメリカ西海岸における漁業を取り巻くシステム群図1
アメリカ西海岸における漁業を取り巻くシステム群

 漁業関連データを収集している主要な団体は以下です。

  • West Coast Groundfish Observer Program
    (米国西海岸の底魚漁業を管理するプログラム)
  • Pacific States Marine Fisheries Commission
    (米国西海岸の州における漁業の統括団体)
  • 漁業関係者および漁業組合
  • 漁船管理団体
  • 漁業監督官庁
  • 海洋生物学関連団体(観測船、学者、オブザーバー等)

 IDEOは、各ステークホルダーが必要とするデータを、各自で取得できる仕組みを作るため、Gordon and Betty Moore Foundationと、NOAA(National Oceanic and Atmospheric Administration アメリカ海洋大気庁)の共同プロジェクトを立ち上げました。
 複雑に絡み合ったデータ群を、一つにつなげられるようにする技術的な取り組みに加えて、誰がどのデータを何の目的で活用するのか、ユースケースという形で具体的なイメージをまとめあげました。このユースケースは、データを保有する関係団体に対し公開を促したり、データの利活用を促進するツールを開発する意義をアピールするために、重要な役割を果たします。エスノグラフィで観察したデータを利用するユーザーをモデルとして、その人がどのようなシチュエーションでメリットを享受できるのかをストーリーとしてまとめたものとも言えます。

 以下のサイトに詳しい資料が掲載されていますが、その中からいくつかのユースケースをご紹介します。

■ユースケース紹介ビデオ
http://vimeo.com/92358589
■ムーア財団による報告書
http://www.moore.org/grants/list/GBMF3823

A:漁業ビジネスをサポートするためのデータ整備とビジネスツールの提供

1. IFQプログラムに沿った計画的な漁業を行うために、漁師にFish Biz Toolを提供。
2. 漁師は、ビジネスツールにその日の漁獲高を投入する。
3. ビジネスツールは、情報が投入されると以下の情報を更新し、公開範囲に応じて関係者が閲覧することができる。

・漁をした場所(漁獲して良い魚の漁獲高、混獲した魚の量)
・IFQから割り当てられた漁獲高/漁獲予定の魚の種類
・これまでの漁獲高(漁獲の進捗)
・漁獲目標を達成するために必要な残りの漁獲量
・漁獲割当の権利の譲渡意向(IFQで割り当てられた漁獲権を売買可能)

4. ビジネスツールは、漁獲の進捗状況に応じて、ビジネスツールが現状の魚の市場価格に応じて、売上/利益の予測額を算出する。
5. 漁師は、1~4の流れでデータを蓄積し続けることにより、例年と比較して状況が良いか悪いか判断することができ、計画的な漁獲を実施可能。
6. 漁師コミュニティは、各自が混獲の状況を日々報告することで、該当する海域への漁にアラートを出し合い、混獲削減につなげられる。
7. 漁業組合は、加盟する漁師に割り当てた漁獲高の進捗状況を日々確認することにより、市場全体での売上管理が可能。また混獲防止策や、計画的な漁獲に対するタイムリーなアドバイスが可能。

図2 漁業支援ビジネスツール イメージ(ユースケース紹介ビデオ内の画像より引用)図2
漁業支援ビジネスツール イメージ
(ユースケース紹介ビデオ内の画像より引用)

米国では、既存の漁師の情報共有コミュニティサイトがあり、

■eCatch https://www.ecatch.org/

 どこで何の種類の魚を獲ったか、ノウハウの共有などが可能となっています。
 ユースケース映像で語られているビジネスツールや管理システムは、将来的には既存の漁師コミュニティサイトとの連携を考えているとのことです。既存で活用されている情報共有サイトで、漁業に関するノウハウを共有している漁師コミュニティにとって、新しい漁業管理ツールは、根付きやすいかもしれません。

B:漁業と市場・消費者をつなぐ仕組み
1. 市場に漁師が魚を納入した時、仲買人はQRコードを発行する(漁師情報と漁獲された海域や日付の情報が閲覧できる)
2. 魚はQRコードとともに店頭に並ぶ
3. 消費者は、店舗で魚を購入する際、トレーサビリティ情報を知りたければ魚売り場にあるQRコードをモバイル端末で読み取る。
4. 消費者は、自分が購入した魚を獲ったのは、誰で、いつ、どの海で獲ったかなどの情報を得ることができる。
5. 消費者は、その魚の品質の満足度について5段階で評価することができる。
6. 漁師は、自分が獲った魚がどこで購入されたか、魚の満足度を知ることができる。格付け機能により「持続可能な漁業を行う漁師」という褒章を得ることができる。

図3 QRコードによる漁師と市場・消費者の顔の見える関係 イメージ (ユースケース紹介ビデオ内の画像より引用)図3
QRコードによる漁師と市場・消費者の
顔の見える関係 イメージ
(ユースケース紹介ビデオ内の画像より引用)

 漁業は、古くからの伝統も息づいているはずですし、自然の厳しさと対峙も必要な複雑な世界だと思います。
 この事例は、その厳しい漁業の世界において、人類が自分たちをコントロールしながら持続可能なものにするためのデータ活用ですが、具体的なイメージがなければ言葉だけで終わってしまう恐れもあります。
 この事例は、漁業関係者によりリアルな将来像を感じてもらうため、まずIDEO自らが漁業を取り巻くコミュニティの世界に入り込んで観察し、その文脈の中でユースケースという形で将来像を示し合意形成を行った事例と言えると思います。