私が細道探索の魅力にとりつかれたきっかけとなった記念すべき(笑)道。このあたりは江戸時代は「大番組(おおばんぐみ)」と呼ばれる江戸城警護の旗本・御家人たちの屋敷が並んでいた。なので元の町名は「大番町」だったが、隣の「右京町」と合併して「大京町」となった。安易だ。
この地域は江戸時代、西から攻めてくると想定された敵に対し、多くの屋敷を南北に連ねることで守りを固めた。道は南北方向にしか通らず、東西の行き来は大変な遠回りが必要で面倒だった。
私は外苑西通りに面したマンションに10年以上前に転居し、近所の小さな食品スーパーに通っていたのだが、この江戸の町割りの名残で、しばらく遠回りしながら外苑西通りから一本東にある通り沿いの店に通っていた。
ところがである。
ある日、そのスーパーの脇に細い路地が口を開けているのに気づいた。「そういえば西側にも小さな行き止まりの路地があったな。待てよ・・・」
西側に戻って行き止まりだとばかり思っていた路地の奥まで行ってみると、なんということだろう、右側に人一人がようやく通れる隙間があるではないか! しかし地面はきちんと舗装され、明らかに道だ。そのクランクは数メートルでまた壁にぶち当たるが、左には細い路地が続き、くだんのスーパー脇に出た。
こんな道が東京にもあるんだ、と思った。
かつてストックホルムで、高い石壁に挟まれた「世界一細い路地」というのを歩いたことがある。しかし細さだけなら決してここも負けていない。
幕末の地図を見ると、西の入口は「本多」と「福王」という武家屋敷の境界のようだ。その敷地境にいつしか道が開けたのだろう。まっすぐでないのは、武家屋敷が道の両側から短冊状に造られていたが、必ずしもその境界が一直線でなかったためだろう。
この道を知って以来、街歩きのたびに細い路地に目が行くようになった。細い道を歩くとわくわくドキドキする。人と出会おうものなら心臓が「ドクン」と音を立てる。そんな感覚に病みつきになり、現在に至るのである。
■細道を実際に散歩した動画です。
細道とは
ここで紹介する細道は、独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。