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NO.5 市ヶ谷亀岡八幡の細道

NO.5 市ヶ谷・亀岡八幡の細道
廃仏毀釈、軍の記憶残す細道
新宿区市谷八幡町
長さ およそ220メートル
最狭幅 80センチメートル
歴史度 ★★★★
狭隘度 ★★★★
魅力度 ★★★
JR市ヶ谷駅と外堀を挟んだ丘の上に鎮座する市谷亀岡八幡宮は、太田道灌が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して、江戸城の西の守りとして創建した由緒ある神社である。鎌倉の「鶴」に対してこちらは「亀」としたという。600年近い歴史を誇るわけだが、創建当時は今の市ヶ谷駅のそば、江戸城の外堀内にあった。それが江戸城外堀工事に伴い、現在地に移動させられた。

市谷亀岡八幡宮、表参道の急階段。左側の社殿は茶の木稲荷神社
移った場所は弘法大師が建てたというこれまたきわめて古い稲荷社が建っていた丘の上だった。それが現在地で、今も境内に茶の木稲荷という立派な稲荷が残る。
太田道灌という江戸城の礎を築いた人物ゆかりで、しかも武神である八幡神を祀ることから、神社は徳川幕府にも丁重に扱われ、江戸時代は社前に芝居小屋が出たり、勧進相撲が行われたりと大層賑わったという。歌川広重の名所江戸百景にも描かれる。
周りの街の景色は変わっただろうが、神社入口の石段は江戸時代から変わっていないようだ。現代ではありえないような急な石段には、近年になって手すりがつけられるほど。あまりに急でお年寄りなどは危ない。ほぼてっぺん近くに大きな銅製の鳥居があり、「八幡宮」と書かれているが、「八」の字が鳩が向かい合ったデザインになっている。書いたのは大名の酒井家の殿様だという。

鳩をかたどった鳥居の扁額
そこから少し登るとようやく平坦な境内に出る。続いて社殿前に進む。と、ここまでは由緒ある神社であるとはいえ、まあまあ見たことのあるような神社の参拝ルートだ。

市谷亀岡八幡宮社殿
ところがである。
ここから先、様子は急変するのだ。社殿に参拝し、ふと右側を見ると看板が立ち「裏参道」との矢印があるではないか。足元にも、玉砂利の中に石畳が敷いてある。進んでみよう。

社殿右脇に細道が続く
社殿の右側に細い道が続いていく。社殿が途切れるあたりで道は一段細くなり、突き当たった向こう側は、やや土地が高くなった駐車場のようだ。右に折れて進むと、左の駐車場と右側の大手予備校の敷地の間を縫って道が延びていく。きちんとアスファルト舗装され、幅も2メートルはあるが、その途中左側の地面に驚くべきものが立っている。

真ん中あたり、左側に石柱が立つ
アジサイと思われる株脇の石柱には「陸軍用地」と刻んであるではないか。すぐ奥にももう一本、同様の石柱が立つ。脊柱の位置で向こう側の駐車場敷地がややクランクしている。

「陸軍用地」の石柱
しばらく進んだ先、駐車場と別の敷地との3つの境界にも石が立ち、そこでは「陸軍省所轄地」と書いてある。

「陸軍省所轄地」の石柱
実はこの道の向こう側、駐車場のような場所は、戦前は陸軍士官学校が長く置かれ、戦争末期には陸軍省や参謀本部も置かれていた。戦後は自衛隊の駐屯地となり、今は防衛省の敷地の一部だ。
つまり戦前に建てられた軍用地境界の石柱が、そのまま残っているのだ。
戦争の時代のなごりが、こんな形で、わたしたちのそばにある。
駐車場が途切れた先の敷地はマンションが建っているようにも見えるが、ここはお寺の敷地だ。お寺が境内にマンションを建てているのだ。見ると塀の下の石は、明らかに墓石を転用した石積みで、江戸時代の年号や戒名が読み取れる。
その付近はなぜか道の真ん中にけっこうな太さの木が立ち、通行を邪魔する。道幅自体は2メートル以上あるのだが、通行幅は80センチほどしかない。

この木はなぜ切らないのだろうか。左下に石柱の頭
やがて道は突き当たり、右に短い階段を下る。降りきると車も通れる広い道が左に通じ、出たところは江戸時代からある左内坂という道だ。

小階段を降りると広い道に出る
しかしなぜここが裏参道なのか?
実は予備校の建つ敷地は、江戸時代には東円寺という寺があった。この寺は別当寺といい、市谷亀岡八幡宮を管理する立場の寺だった。江戸時代はすべての神社に別当寺を設け、僧侶が一元的に宗教界を支配していたのだ。
ところが神道第一の明治政府ができ、神仏は分離せよ、とのお触れが出る。江戸時代は寺も神社も一体で問題はなかったのだが、明治以降は敷地明確に分けなければならず、各地の社寺は苦労する。仏教を迫害する廃仏毀釈の風潮も強まり、東円寺は廃寺になってしまった。その際、亀岡八幡への裏参道を確保するためにこの細道が神社側に残されたのだろう。
陸軍と廃仏毀釈。近代史の記憶を残す細道であった。
■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!
細道とは
ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。
■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)
- 作家・江戸歩き案内人
- 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
- 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。
■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています
- 「東京名所 今昔ものがたり」(祥伝社黄金文庫) 2013年 現代東京の名所の土地が、どのような変遷をしたか、およそ50か所を案内
- 「江戸の神社・お寺を歩く(城東編・城西編)」(祥伝社新書) 2012年 江戸から続く東京の寺社1600を案内
- 「江戸の大名屋敷を歩く」(祥伝社新書) 2011年 東京に残る大名屋敷の痕跡を歩いて案内
- 「江戸城を歩く」(祥伝社新書) 2009年 東京に残る江戸城の跡を歩いて案内
■講師歴
- 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
- 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
- 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
- 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
- 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
- 三越 日本橋街大學講師 2014年〜
■ブログ
http://ameblo.jp/edojyo/
■フェイスブック
http://www.facebook.com/ryo.kuroda.96
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