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子供のころ恥ずかしかった、比内地鶏の赤いタマゴ。
僕の実家は、秋田で比内地鶏を放し飼いにしている。
で、比内地鶏ときりたんぽをセットで販売しているのだ。
この寒い季節になると、やはり無性に“きりたんぽ鍋”が恋しくなり実家にリクエストしたりする。
そのたびに、1つ思い出すことがある。
小学校の頃。家庭科の調理実習でタマゴサンドをつくることになっていて、各自タマゴを持ってくるように言われていた。
僕は、前々から母親に「ぜったい白い殻のタマゴにして。
(比内地鶏の)赤いタマゴは嫌だから」と伝えていた。
比内地鶏の産み立てのタマゴの殻は、濃い肌色のような色。
僕は、それを“赤いタマゴ”と呼んでいた。
僕は、その田舎の“自給自足の象徴”のような赤いタマゴが嫌だった。
とくに、調理実習では、ツインテールのあの娘と一緒の班である。
絶対、スーパーで売っている“都会的な”白いタマゴでなければならなかった。
当日の朝、母に「タマゴは?」と聞くと、畑が忙しくてスーパーに行きそびれたと。
だからいま、お父さんが鶏小屋にタマゴを取りに行ったと。
僕は、血の気がひいた。
そこに、タイミング悪く満面の笑みで「産み立てのタマゴとってきたど!うまいど!」と、父が登場したのである。
僕は、受け取るなり、その産み立ての赤いタマゴを床に投げつけた。
「こんな赤いタマゴ、恥ずかしくて持っていけねえ、白いタマゴじゃないと学校いかねえがら!」
…僕は、父にビンタされると思った。
しかし、父は静かにいった。
「恥ずかしいのは、恥ずかしいと思うお前の心でねえが?」
“優しい、なまはげ”のような顔だった。
「ごめんな、白いタマゴ買えなくて。でも、赤いタマゴは栄養あるよ」
母も怒らなかった。
そもそも、僕は、赤いタマゴの卵かけごはんが大好きである。
なのに、クラスメートのみんなに、家で飼っている鶏のタマゴを見られる
のが恥ずかしかった。とくに、好きなあの娘には。
その日、僕は、納得がいかぬまま、赤いタマゴを持って行った。
調理実習で下を向いていると、ツインテールのあの娘が笑った。
「そのタマゴ大きくておいしそうね。」
父が、黄身が2つ入っているタマゴを持ってけと言っていたから
僕のタマゴだけ大きかったのである。
僕は、顔をあげた。お父さんが公務員の、あの娘のタマゴは
白いタマゴだった。
でも、ツインテールのあの娘は、
「その赤いタマゴのサンドイッチが食べたいな」
と笑った。
大人になった僕は、比内地鶏の赤いタマゴじゃないと
タマゴじゃないと豪語している。
それじゃないと、“卵かけごはん”は食べたくないと辛口をたたく。
実家から送られてくる比内地鶏の赤いタマゴをご近所さんに配ると
手をたたいて喜ばれるのだ。
いまじゃ、自給自足は崇高なライフスタイル。
むしろ、お洒落だ。
そこでとれた、産まれたてのタマゴの価値を
僕は、わかっていなかった。
大人になって、わかること。まあ、いろいろあるけど。
だけど、赤いタマゴを投げつけたとき、
両親はなぜ怒らなかったんだろう。
両親の、その時の、いろんな想いを想像している。
いま、大人になって。
(著者について)
10%(テンパー)。
実家は、秋田で比内地鶏放し飼いにより差別化を図るきりたんぽ屋。稼業を継がず東京へ出て数十年。現在の職業は広告系ディレクター。週末は、だいたいホッピーを飲みながら、赤羽近辺で面白人間を受信中。
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