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プロデューサー巻き。
今また、“プロデューサー巻き”が流行しているという。
初期ブームはたしか、数十年前。僕が小学生のころである。
ネットが普及していなかった時代。僕ら田舎のチビッ子の情報網はテレビのみ、であった。
よって、複数のレビューで比較検証したり、どういう文脈の中での“それ”なのか、正しく情報をつかむことなく、術もなく。
「なんか、東京のおっしゃれな奴がする奴だべ」
という認識のもと、東京発の“それ”は遂行された。
まず、流行に敏感とクラス界隈で噂されていたタケ(同級生)が、群青色の体育着を“プロデューサー巻き”して朝日輝くグラウンドに現れた。
顔は、しれっとしていた。
それを見た、体育教師は無言だった。
タケ(同級生)は、調子ノリのO型である。先生に許容されたと思ったのだろう。
やめればいいのに、“プロデューサー巻き”のまま、走り幅跳びをとんだ。
“プロデューサー巻き”飛び、群青色虚しく、記録2m10cm。(小学5年)
さすがに、体育教師は怒ったね。
「コラィ!気だふり、東京のマネして、うましぇぐなれちゃんとやれ!」(秋田弁原文ママ)
「コラッ!恰好つけて、東京の人もマネか?ふざけてないでちゃんとやれ!」(翻訳)
みんなの前で、タケ(同級生)もさすがにプライド傷ついたね。
しかも、記録が2m弱だったことも影響したね。
みんなの前で、体育教師に、“プロデューサー巻き”を解かれビンタされ、しかも記録が2m弱だったこともあり、人一倍おしゃれと呼ばれた男は、奇声をあげてその場から逃げだした。と思ったら、近くにいた、ひょろ長いなんの関係もないかっぱ君(同級生)を「かっぱ、お前もコイッ!」つって。道連れにして、小学校グランド奥の裏山へと逃げ出した。
体育教師は、「ほっとけ、そのうち腹減ったら帰ってくるべ」と、その後、何事もなく授業を続けた。
それから、タケとかっぱ君は、体育教師の予告通り、3時間後、給食の時間に戻ってきた。
その日の献立は、「天丼風エビフライ弁当」
人気のメニューであった。
プライドより、そこを外さなかった(逃さなかった)というのは、ある種、プロデューサー然としていたな。と今になって想う。
(著者について)
10%(テンパー)。
実家は、秋田で比内地鶏放し飼いにより差別化を図るきりたんぽ屋。稼業を継がず東京へ出て数十年。現在の職業は広告系ディレクター。週末は、だいたいホッピーを飲みながら、赤羽近辺で面白人間を受信中。
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