ETHNOGRAPHY
人生リセット! – 30代女子のノープランな人生と片道航空券
現代生活図鑑Room No. 011:人生リセット! 靴職人からイベント企画会社へ(30代 女性 単身世帯)
今回の訪問先は、変貌著しい中央線東中野駅前に住む31歳の女性会社員宅。会社員はイベント企画製作会社だ。2匹の猫と同居中。
若いのにもかかわらず、すでに何回か人生を豪快にリセットして新たな道を歩んできている。しかもそれぞれうまく進んできているから驚きだ。思い切りの良さが好結果を生むのだろうか? しかし、普通ならそううまくいかないだろうと、飛び込まないのが普通のようなシチュエーションばかり。よい子の皆さんはまねしないで下さい。
短大中退し、突然ロンドンで靴職人修行
最初のリセットは出身地福岡での短大1年の時。高校の頃から絵が好きで、漠然と漫画家になりたいなあ、と思いつつ高校からエスカレーター式に系列の短大に進み、陶芸などを学んでいた。陶芸の産地有田が近いので、陶芸家や仕事場も多かったようだ。しかし今ひとつ陶芸には興味が持てずにいた。
実は短大に入る前、高校の頃に、靴職人としてロンドンで働いていた同級生の兄が、たまたま帰国しているときに話をしておもしろく感じていた。当たり前だが「靴って造れるんだ」と実感した。それ以来造形物としての靴に興味が湧き、好きになったイギリスの手縫いの靴を、がんばって10万円出して買ったりした。
短大に入ってもそちらの興味が高まり、短大にお金を出しているのがばからしくなった。両親に「靴造りを勉強したいから短大中退させて」とお願いしたら、あっさり「いいよ」と返事をもらい、なんと「どうせ勉強するなら海外でしょ?」と両親にヨーロッパ行きを勧められる。
とは言っても、親は中退して不要になった1年分の学費をくれただけ。それでも行けばなんとかなると、英語も話せず家も仕事場も学校も何も決めず、片道の航空券だけを持ってロンドンに飛んだ。
このあたりの感覚が信じがたいのだが、向こうに行くとそんな日本人は結構多いという。「来れば何とかなるよ」「行けばなんとかなるよ」。そんな人ばっかりだという。あえて困難を造って、楽天的に目の前の状況をバリバリ解決していく前向きな人間でないと、海外で活躍などできないのかもしれない。石橋を叩いて叩いて結局渡りません、という人が多い日本人が、世界で影が薄いのも仕方ないかもしれない。
「もちろんめちゃめちゃ不安でしたよ。たまたま着いてすぐ、日本にもうすぐ帰るという人の部屋に後釜ですぐ住むことができました。探せばなにがしかバイトの口があって、日本のアニメを見て変な日本語を覚えている人に正しい日本語教えたりしてなんとか暮らしてました。もう短大も辞めちゃったし、なんとかしなきゃ、って必死でした」
ロンドンでは以前会った友人の兄を頼り、アシスタントをしながら1年ぐらい修行した。学校にも通った。そして靴造りは一通りできるようになり帰国する。
帰国しオーダーメイド専門の靴職人に
帰国したのは東京。福岡ではやりたいことも見当たらなかったし、ロンドンで知り合った友達もみな東京にいた。住まいはスタイリストのアシスタントをしている友人と同居して暮らした。靴の仕事がないかと問屋などが多い浅草に行ってみたがあまり活気がなく仕事も見つけづらかった。
どうしようか困っていたところ、同居していた友人が「うちの先生がイメージに合った靴がない、って言ってるんだけど」という話を聞いた。
それなら自分が造れる、とスタイリストのイメージ通りのオリジナルの1点ものの靴を造った。それが評判になり、いろんなスタイリストからの注文で靴を造るようになった。CMや広告の撮影など、イメージ通りの靴が必要な場面があるらしい。
浅草で材料を仕入れて、家で作業した。凝ったものだと1週間ぐらいかかるが、簡単なものは2、3日でできる。ならすと月に2、3足を造ったが、展示会用など、たくさん必要なときは10足ぐらいは造った。
「ほかではこんな仕事してる人、聞いたことないです。あんまり商売っ気がなかったんで、支払いは言い値でした。材料費はこんだけです、っていうのは言って、あとは制作費という感じで。」

家具は少ない。寝室はこのベッドと、右に少し見える机と、小さなボックス棚があるだけ。
しかし仕事場は家で、ちっとも外に出られないのがストレスになってきた。友達は仕事で外に出かけていく。自分は材料を仕入れる浅草と当時住んでいた祐天寺駅の往復ぐらい。テレビCMなどで自分の靴が使われているのを見るのはうれしかったが、2年ほどそんな暮らしをしていたら嫌になって、
「やーめた、と仕事受けるのは辞めちゃいました」
またまたリセットである。
2年で靴造りをやめ、劇団の裏方に
辞めたあとはなんにもせずブラブラしていたが、下北沢を中心に舞台ばかり見ていた。そんなある日、ロンドンで一緒だった友人が帰国して飲んでいると、友人の知り合いの劇団員が合流して一緒に飲み始めた。その劇団員はなんと翌週見に行く予定だった芝居の出演者だった。そこで「裏方を探してるんだけど」という話になり、即座に「やるやるやる!」と手伝うことを決めた。
「演劇は好きで、ぼんやりと演劇の裏方とかできないかなあ、と思ってはいたんですが、つてもなくてどう関わっていいかわからなかったんです」
人生、ちょうどいい偶然が起きるものだ。
で手伝ったのは、舞台企画製作。何をするかというと、小屋を押さえて、値段を決めて、売り先を決めて、などプロデューサー的な業務全般だ。1年間は先輩の元で見習いをしていたが、先輩がやめてしまい、そのあとは一人で劇団の企画製作業務を一手に引き受けていた。
「ここは長かったです。10年ぐらい貧乏な下北沢の演劇人やってました」
仕事は劇団の方が向いていたと感じた。こつこつ一人で仕事をやるより、人と関わる仕事の方が充実感があった。だから靴造りにはあまり未練はない。
「人生こうしておけばよかったとかあまり思いたくないので、決めたらすっきりしたものです」
劇団の裏方では食っていけないので、アルバイトをしながら暮らし、劇団はほとんどボランティア状態だった。
しかしここでリセット心が頭をもたげる。
「10年近くやって、サブカル的なこととか、下北沢とか、劇団とかそういうものがいやになってきて、またやーめた、ってやめちゃったんです」
他の人も30歳ぐらいで離れていく人が多かった。年齢的なものと下北沢の街が合わなくなってくるのだと思う。貧乏劇団員暮らしも疲れる。
「40になってもおんなじことしてていいんだろうか、って先を考えるようになります」
そしてイベント企画会社正社員に
普通の会社員になろうと思った。そこでテレビ番組製作会社やイベント企画会社の求人を見つけて応募した。
製作会社やイベント企画会社が普通の会社員とも思えないのだが、彼女としては「正社員」になりたかった、という。そして現在働くイベント企画会社に就職する。
念願の正社員になって収入は増えればいいなと期待している。
さて次のリセットはいつだろうか?
3年ほど前に祐天寺駅から越してきた今のマンションも実は変わっている。知り合い父親がオーナーなのだが、普通に不動産会社から入居者を紹介されるのを嫌い、部屋が空くと入居者や知り合いを通じて、間借り人を決める。そのため入居者同士が知り合いの場合が多い。
古い田舎のコミュニティのような濃密な関係ではないが、適度な隣人関係で居心地がいいという。ロケーションもいい。線路際に大きなビルが建ち、そのビルの裏に立つので駅近だが音はほとんどしない。
近所の住人層はだいぶ違う。ここは外国語が結構飛び交う。物価も安い。スーパーなども近く生活には便利だ。飲むのもこの近辺。下北沢のように、飲んでいて演劇論をがなり立てているよう声も聞こえてくることはない。
勢い、あまり東中野を離れることがない。
家でまったりが大好き
「こたつを去年買ったんですけど、いいですねえ、こたつは。寝られるし、暖かいし。幸せな気持ちになれる。今は猫がいるのであまり家を離れられないし、家で食事も多いです。ご飯作るのは好きですし、旅行もあまり行きません」
「基本家出ないです。家でできる楽しいことを探すのが好きなんで。ウインドウショッピングとか考えられないです。お茶しに行くとかもないです。家では本読んでたり、DVD借りて見てたりですね。映画は好きですけど1800円払って見に行くのはもったいないので」
自宅でまったりをこよなく愛しているそうだが、その自宅はインテリアとかにはまったく淡泊。非常にさっぱりと、装飾めいたものは何もない。壁に何も貼らないのは、貼ると猫がすぐに破くという事情もある。しかし失礼ながらぱっとお見受けしたところあまり、ファッションとかにも関心は強そうではない。

猫ちゃん
「でももっと将来は小料理屋とかやりたいですね。料理好きなんで」
そのうちやってそうで怖い。

猫ちゃんが遊ぶための猫タワー。
すごく高そうに見えるが1万円していないという。
右はウオーターサーバー。
震災以前から「なんか水道水が信じられなくて」飲んでいる。

留守の時、猫がえさを食べられるマシーン。
これを買って外出などがだいぶ楽になったそうだ。
決められた時間に定量のエサが出てくる。

気に入っているこたつは足をつけると高いテーブルになる。

上:仕事机。椅子は5本足
下:机の横の書類

かなりレトロな玄関ドア。
同じマンションの住人と仲がいいので、
お裾分けでもらったお土産の内容などを、
忘れないように貼ってある。

室内にタンスや本棚などはほとんどない。物入れはぎっしり。

本も結構多い

化粧品は多くない

上:台所のタイル壁は昔懐かしい感じ。もちろん大家さんの趣味
下:食事を作るのは好き

食器の陶器は、おもしろいものがいろいろある。
やはり昔陶芸科で学んでいたせいか

コンロの下はかなり雑然としている。
食器が多い。食料は少ない。
スーパーが近くて頻繁に行くのが苦にならないので買い置きをあまりしない。

冷蔵庫

家飲み用の氷が大量にある。製氷装置はないので手作り。グラスも冷やしてある。

無駄に広いというお風呂。
浴槽が深くて幅が狭い昔風。
照明は扉を開けたら点灯する機能がついたLEDを使っている。

お風呂場の一角

ユニットバスではないが、トイレは風呂場にある。
トイレの前に灰皿。喫煙場所はここ。猫のため。

洗面所グッズ

洗濯機置き場が室内になく、雨ざらしの外に置いている。
左のボトルは洗濯物の香りづけ。
取材後記
筆者は慎重に生きたい性格だと、自分では思っている。駅のホームの端には立たないし、信号が青になってもすぐには渡らない。何事もきちんと計画して臨まないと心配なので、計画は綿密を極める。旅行なんか特にそうだ。
しかし人生振り返ってみると、予期しない出来事がボコボコ起きて、「こんなはずじゃあ」ということばっかりだ。気がつけば波瀾万丈。人によっては「ジェットコースターみたいですね」なんていう人もいる。
と思ってこの人のまだ30年少々の人生を聞くと、いままで俺は何やってたのかな、とも思う。人生結局、ダイブ、ダイブなのではないか? だったら突き落とされるより、自分で飛んじまった方がよかったのではないか? そんな風に、ややむなしくならないでもない。
英語はできないけどロンドンで学校に行こうと目論む。仕事も何も決まってないけどとりあえず東京に住む。面白そうだからそれまでの収入源は捨てて劇団員になってみる。
まあ飛び方が凄い。しかしそれでいて結構幸せそうだし、なんだかんだ今につながっている。
本文内でも書いたが、結局そういう無謀さが大事なのかもしれない。一度きりの人生、いやなことやつまらないことを我慢しても、いいことがあるとは限らない。そういう忍耐が美徳というのがなんとなくこれまでの日本の風潮だったが、どうも昨今の世の中我慢していてもいいことはなさそうだ。
もちろんわがままを通せ、ということではないが、我欲を突き詰めてこその人生ではないだろうか。
考える前に飛ぶ。飛んでからもがく。一生懸命もがく。それが以外と世の中をよくするかもしれない。
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