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NO.24 玉の井の細道 〜墨東綺譚は夢と消え〜 【最終回】

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tamanoi

NO.24 玉の井の細道
墨東綺譚は夢と消え
      長さ 1.4キロメートル      
         最狭幅 80センチメートル
歴史度 ★★★      
狭隘度 ★★★★   
魅力度 ★★★      

※永井荷風の「墨東綺譚」(ぼくとうきだん)の「ぼく」は本来「さんずいに墨」ですが、ブラウザによって表示できないので「墨」に変えています。ご了承下さい。

 1年間連載させていただいた「黒田涼の江戸東京細道散歩」も今回で最終回となりました。これまでご愛読ありがとうございました。初めての方は最初から全部読んで下さいね(笑)。

 さて、こうした最終回にどんな題材を選ぶかというのは悩ましいものだ。この連載で言えばどこを選ぶか。道自体で言えばまだまだ面白い道はたくさん残っているのだが、連載の最後を飾るにふさわしく、なおかつこれまで紹介してきた道とまた毛色が違い、地域バランスなども考えると・・・と結構悩んだ結果がこれ。

 どうでしょう。墨東・玉の井。

 ご存じの方は「ああなるほど」とおっしゃっていただけるのでは、と期待しています。

 永井荷風の「墨東綺譚」は小説と言いつつ、主人公は永井本人とおぼしき小説家で、実際に玉の井を詳細に歩き回って(もちろん日々女性を買いまくって)、書いている。

 彼が通ったのは戦前の1936年頃から。「墨東綺譚」は翌年に出版されたが、自身が撮影した玉の井の風景なども添えられていたという。

 玉の井は戦前から戦後にかけての有名な私娼街・売春街だった。吉原が遊郭として明治以降も半ば公的に認められた売春街だったのに対し、玉の井は建前上は売春宿などはない、という非公認な場所だったという違いがある。

 その成立は新しく、関東大震災直前だという。

 震災前、浅草寺裏には「銘酒屋」と称した売春宿が多数あった。ここをつぶそうとしてのか、今の言問通りが大通りとして作られる。「銘酒屋」と聞けば、「酒屋かな?」と思うが、実際には酒など売っていない。実態は売春婦が何人かいる売春宿だ。

 これらが移転先として選んだのが今の玉の井(今の東向島5丁目を中心とした地域)だった。関東大震災で浅草一帯が焼け野原になると、警察は浅草裏の銘酒屋の再建を許さず、その多くがさらに玉の井に流れてきた。

 その後東武線が浅草まで延伸され、最寄りの玉の井駅(現東向島駅)までの交通の便がよくなったこともあり、大いに賑わった。昭和の初めで500軒ほどの銘酒屋があり、1000人ほどの売春婦がいたという。

 しかし戦争中の爆撃で玉の井は焼け野原になり、戦後は銘酒屋の再建は許されなかった。売春業者たちは近くの鳩の街や、玉の井のやや北側に作られたカフェー街などの「赤線地帯」(半公認の買収地域)に移った。

 この時移った今の墨田3丁目あたりを新玉の井、戦前の地域を旧玉の井などと言ったりもする。

 やや前置きが長くなったが、今回は新旧玉の井の間を通るいろは通り(大正道路)の入口から歩き始める。東武線の線路から入っていくとまもなく道が左右に分かれる角に交番がある。ここを左に行く。

右が「いろは通り商店街」。交番脇の左へ入る

右が「いろは通り商店街」。交番脇の左へ入る

 少し行くと右に入るきわめて細い路地があるので入る。今は道の脇はマンション建設中だ。ここには少し前までスーパーがあり、いろは通りと通じていたのだが、今は道がふさがれている。もっと以前には寄席があった。
 路地の先は行き止まりだが右側はお寺となり、「願満稲荷」という神社もある。

細道奥にある願満稲荷。マンション完成後は表から通れるのか?

細道奥にある願満稲荷。
マンション完成後は表から通れるのか?

 寺も稲荷も永井の随筆に出てくる。そして寺の壁に、永井手書きという玉の井の地図のコピーが張ってあっておもしろい。

永井荷風が書いた手書きの玉の井地図

永井荷風が書いた手書きの玉の井地図

 車道に戻って今度は左側の路地を入る。この辺から先が新玉の井と言われる戦後の赤線地帯だ。今はまったくそうした歓楽のにおいはないが、迷宮らしさは漂う。まっすぐ進み、工場(?)らしき建物の脇の細道をすり抜ける。右に曲がり、一つ路地をやり過ごした先に、アパートと民家の間に隙間がある。しかしどう見ても民家の敷地だ。

地図上はここも道となっている

地図上はここも道となっている

 ところがである。
 ここも地図では道路となっているのだ。狭いところは80センチくらいしかない。
 抜けるとまた細道だが、なんだかおかしい。舗装された道路の真ん中に花壇のようなスペースがある。

なぞのお花畑。道の真ん中にあるように見える

なぞのお花畑。道の真ん中にあるように見える

 向こう側の住宅の側は路肩のようになっているのだが・・・なんだか複雑な事情がありそうだ。
 抜けたところを右に進む。抜け出たところが車道で、その先に住宅の間の隙間がある。上に建物が張り出し、どう見ても住宅敷地だ。

この隙間も地図上は道。どう見ても建物が上を覆っている

この隙間も地図上は道。どう見ても建物が上を覆っている

 ところがである!(最終回なのでサービスで2回)

 ここも地図では道路になっている。所有関係はどうなっているのだろう。

 建物の下を通って抜けると、今度は無駄に広い道(?)。真ん中に10センチほどしかない下水路があり、その先はプラスチックのパイプが埋められて下水に流れ込んでいる。あまりにチープな仕上げだ! これは道なのか? 庭なのか? 駐車場なのか?

 抜けた道を左に行くと、先ほど横切った車道だ。ここが赤線地帯のメインストリートだった。奥へ進んでいくと、名残らしき小料理屋や、バーなどが看板を並べている。

かつての私娼街の面影を残す飲食店の看板

かつての私娼街の面影を残す飲食店の看板

 その手前の三叉路を右に入る。最初の辻を左。すると右手にややレトロな住宅がある。これは赤線時代の「カフェー建築」の名残だという。

カフェー建築としてよく取り上げられている住宅

カフェー建築としてよく取り上げられている住宅

 売春宿と言うことで、やはり普通の住宅とは少し違う造りにした建物が多かったらしい。一番の特徴は建物の角を作らず、カーブを描かせたことだそうだ。確かに見てみるとやや淫靡な感じもする。窓脇にも装飾が施され、怪しい雰囲気を醸し出す。

 その奥は抜けられるのか抜けられないのか。「抜けられます」と張り紙をして、客を誘った昔の雰囲気がまだ漂っていた。

その脇の道は、抜けられますかどうか・・・

その脇の道は、抜けられますかどうか・・・

 カフェー住宅を左手に見てまっすぐ進むといろは通りに出る。左へ進んで、すぐにまた左に入ると、奥の正面が東清寺というお寺で、ここに玉の井稲荷がある。右へ曲がり、寿司屋の角を左。右へ入る道があるので入ると行き止まりのようだが、泥道を歩いてまた別の細道と合流する。

未舗装の道もあり

未舗装の道もあり

 そのまま進んで車道を横切るとまた細道。出た道を右に行き、いろは通りの終点の交差点を過ぎてまっすぐ進んでいく。最初に右に入る道を折れていく。

 このあたりから先は旧玉の井だ。出た書道を左に行ってすぐに右。道はくねくねと曲がっているが、これは明治以前のあぜ道の名残だろう。田んぼだった場所が区画整理もされずいきなり売春街になったためだ。道端には昔を偲ばせる建物もわずかに残る。最近進められている防火用の雨水貯留タンクもある。

墨田区は火災に備えて雨水を貯めるタンクをあちこちに配置している

墨田区は火災に備えて雨水を貯めるタンクを
あちこちに配置している

 そのまま道なりに進んでいくと、やがて大きく左に道がカーブする。その次の最初の右へ行く細道に入る。この奥あたりに、「墨東綺譚」に登場する「お雪」の家があったという。脇の路地は今も未舗装の場所があるなど、雰囲気があふれる。

これも地図では道

これも地図では道

 道なりに進むとまたいろは通りに出て、右を見ると最初に見た交番だ。

 知らずに来たら、ここに1000人もの娼婦がいた売春街があったとはまったくわからないだろう。道のくねり方から、怪しい街のイメージを広げていくしかない。

細道の旅にお付き合い頂き有り難うございました。この連載は2015年春に書籍化を予定しております。乞うご期待!

■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

■ブログ
http://ameblo.jp/edojyo/
■フェイスブック
http://www.facebook.com/ryo.kuroda.96

 

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