COLUMN

NO.23 高円寺の細道 ~延々と続く旧軍用地の細道~

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Koenji


NO.23 高円寺の細道

延々と続く旧軍用地の細道

長さ 700メートル   

最狭幅 1メートル   

歴史度 ★★★★   

狭隘度 ★★★★   

魅力度 ★★★    

高円寺駅を降りて北口へ出ると、ねじめ正一さんの小説で有名になった「高円寺純情商店街」のアーチが見える。そこに入って突き当たりまで行き、左に折れていくと今度は庚申通り商店街が左右に続く。右の来た方向に進んでしばらく行き、左手に大きなマンションを見て過ぎたところが今回の入口だ。

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高円寺純情商店街のアーチ

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商店街の途中に、急に住宅街の入口が口を開けている

入るとすぐに行き止まりになるので、左に行くと、道は右へカギ状に曲がってすぐに車の通れない細道となる。しかしまあ見事に一直線な細道だ。こういう場合、堀割跡などという場合が多いのだが、ここはそうではない。

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商店街のすぐ裏に、自動車通行不可能な一本道が続く

なんとこの場所は敗戦まで軍用地だったのだ。

今の中野駅北側には広大な軍用地が広がっていた。有名なものにはスパイ養成学校の中野学校がそこにあった。そこから杉並区の今の日大二高の敷地あたりまで、かつてはえんえん2.5キロほどもの細長い軍用地が続いていたのだ。幅は30メートルとか、広いところでも50メートル。

どうしてそんな細長い軍用地が必要だったのかというと、中野の軍用地にはかつて、鉄道大隊という部隊が駐屯していた。これは戦地で鉄道を敷設したり補修したりする部隊で、その訓練・演習のために線路を引く細長い土地が必要だったのだ。

この部隊は1907年(明治40年)に千葉に移転するが、その後この細長い土地は今度は電信隊という部隊が利用することとなった。当時はまだ無線よりも有線で戦場の連絡を取ることが多く、その敷設の訓練のためにやはり細長い土地が必要だったのだ。さらにこの土地は拡幅して滑走路にしよう、という構想もあったというから驚きだ。しかしさすがに周囲の都市化、住宅地化が進んでおり、飛行場は実現しなかった。

敗戦後は大部分が民有地となったが、すでに細長い土地の両側は住宅地化が進んでいたため、おそらくこの細長い軍用地には大きな施設は建てられなかったのだろう。今回歩く細道はこの旧軍用地のほぼ真ん中を貫く道で、北側に車道が通された。この道路も一直線である。

新しい住宅もあるが、やはり古い住宅やアパートが多い。舗装されていない場所もある。北側の住宅は家1軒分の幅の向こうは道路となっており、両側に道路がある珍しい住宅地だ。

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壁のように張り出した古い木造家屋も

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ここも地図上は一応道路の表記

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ここも「道路」

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向こうには一本隣の道が見える。ここも通行可?

車道を横切り、しばらく行くと行き止まりになるが、手前左にめちゃくちゃ狭い細道があり抜けられる。昔は正面に抜けられたようだが、なんらかの事情で壁ができてしまった。抜けて大回りをして、旧軍用地中心ラインに戻ってくると、また中心ラインに続く道がある。

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最狭区間。住宅と住宅の隙間だ

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出てくるとこんな感じ

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はるか彼方までまっすぐです。

3か所目に車道を横切る際、少し寄り道をしよう。車道を右に行き、すぐの角の駐車場角に電柱が立っている。その下を見ると黒ずんだ石柱が立っている。車止めにしてはちょっと小さい。

ところがである。

道路から回り込んで駐車場の敷地側からかがみ込んで見てみると、なんと「陸軍用地」と掘られているではないか! これは全国各地にある、旧軍用地の敷地境界を示す境界石柱である。実は23区内にも多数残っている。古いものは明治初期に立てられたと思うが、100年以上経っても残っているのだから驚きだ。軍用地から引き継いだ土地の権利を明らかにするものであるだけに、撤去されにくかったのかもしれない。

23区内のこうした陸軍境界石については、現在私のブログで連載中なのでご参考まで。また、こうした23区内の軍用地については、まもなく12月12日に、朝日新書から「大軍都・東京を歩く」を発刊するので、併せてお読みいただけると幸いである。

さてPRはこれくらいにして先に進もう。先ほどの道まで戻ってまた軍用地あとを進むと、すぐに行き止まり風になるが、ここも左に抜け道がある。南に大きく迂回していくと、正面に使われなくなった公務員住宅らしき建物が並ぶ。これは気象庁の宿舎跡だが、この一帯、隣の馬橋公園なども合わせ、戦前は軍用地だった。1925年に陸軍の通信学校ができ、移転後陸軍気象部が置かれた。敗戦後は管理が移る形で気象庁の気象研究所になり、その後公園などになった。宿舎跡はその名残だ。

宿舎跡沿いに右に進むと公園の入口がある。その部分、道がちょっと奇妙に曲がっているが、その曲がった部分に注意すると。ここにも先ほどと同じような石柱があり、こちらは「陸軍」と彫ってある。

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軍の施設があった馬橋公園

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「陸軍」との文字がはっきり読める敷地境界標石

実はこのあたり陸軍境界石の宝庫である。23区内におそらく数十か所、この境界石があることを確認しているが、そのうち10本ほどがこの軍用地沿いにある。敗戦まで軍用地で、なおかつ狭い土地なので住宅など小規模な土地開発しかされなかったことが要因かと想像する。

おそらくこの土地に住んでいる人の多くは、ここが軍用地だった来歴を知らないだろう。東京という街はどこでも、調べればなにがしかの歴史を秘めているのだが。

■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

■ブログ
http://ameblo.jp/edojyo/
■フェイスブック
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