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NO.20 赤坂の細道 ~江戸と歓楽街と軍の細道~

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NO.20 赤坂の細道 江戸と歓楽街と軍の細道 長さ2キロメートル  最狭幅 1.5メートル 歴史度 ★★★★ 狭隘度 ★★★★ 魅力度 ★★★★

NO.20 赤坂の細道
江戸と歓楽街と軍の細道
長さ2キロメートル
 最狭幅 1.5メートル
歴史度 ★★★★
狭隘度 ★★★★
魅力度 ★★★★

 日本橋や銀座など江戸の中心街を除けば、江戸時代から町人の街として栄えてきた東京の繁華街は少ない。上野広小路と今回の赤坂ぐらいではないだろうか? 新宿も渋谷も六本木も、明治以降に賑やかになった街だ。

 歴史の古い街、しかも町人の街とくれば細道の宝庫に間違いない。

 赤坂の語源はおそらく「赤い坂」があったからだろうが、その坂がどこにあったかは今はもうわからない。元々の赤坂は今の永田町、江戸城赤坂見附門があったあたりらしく、町人は移転させられて、今の元赤坂一丁目あたりに住んだらしい。その後今の赤坂見附駅付近に街が広がり、江戸時代を通じて町人の集まる街となった。

 今のみすじ通りや一ツ木通りのあたりだ。ちなみに一ツ木というのは元来「人継」で、街道の人馬継立所、つまり輸送の中継地点だったからついた地名だという。

 その西側には旗本屋敷や寺が連なっており、また、赤坂サカスからTBSの一帯は広大な広島藩浅野家の屋敷が広がっていて、様々な要素が集まるハイブリッドな街だった。その影響は今の赤坂の街の様子にも色濃く現れている。

 さて今回の出発点は赤坂見附駅。

赤坂見附駅出口からエスプラナード赤坂通りを望む

赤坂見附駅出口からエスプラナード赤坂通りを望む

 外堀通りとは反対の繁華街の方へ出て、エスプラナード赤坂という通りを南に進む。赤坂田町通りという方が通りがいいかもしれない。イメージ刷新などで名前を変えるのはいいが、覚えられないのでは意味がないと思うがどうだろうか。貴族の散歩道・高貴な避暑地の遊歩道という意味だそうだ。あんまり貴族はいそうにないが。

 横道にそれたが、駅を出て最初の十字路左のビルの入口に入る。するとすぐに反対側のビル出入り口から、向こう側の道に出ることができる。ものの数秒だ。

 赤坂の細道、前半は変則細道の連続である。

 この通りの左側の街区だが、かなり奥行きが狭い。地図で見ると割り箸のように細くなっており、幅は10メートルほどだ。このため、ビル1階の店は多くが道の両側に出入り口を作っている。また飲食店が多いためか、先ほどのように表と裏を自由に行き来できるようにしている場合が多い。

ビルの表と裏の間を道路のように自由に通行できる(1)

ビルの表と裏の間を道路のように自由に通行できる(1)


 ビルの表と裏の間を道路のように自由に通行できる(2)

ビルの表と裏の間を道路のように自由に通行できる(2)

 ビルの敷地なので道ではないが、深夜も通行できるしこんな「道」もあるということで細道として紹介したい。しばらくビルの中をぐるぐるとくねって通行する。建物の中が商店街のような場所もある。

ビルの1階が小さな商店街のよう

ビルの1階が小さな商店街のよう

 三つ目の車道十字路に出たところで、一本西のみすじ通りに移り、今度は北に進む。しばらく歩くと左側に2階建ての古びた歯科医があるのでその先を左に入る。赤坂にこんな通りがあるのかと思うような、細い路地を進む。

みすじ通りと一ツ木通りの間の細道

みすじ通りと一ツ木通りの間の細道

 途中にさらに奥に続く路地もある。

 抜けた通りが赤坂で最も有名な一ツ木通りだ。右に進む。

 まもなく左側に大きな門のような看板がある。ふだんは意識しないかもしれないが、上を見ると「赤坂不動尊」とある。

赤坂不動尊威徳寺の山門?

赤坂不動尊威徳寺の山門?

 お寺の入口なのだ。江戸時代は近くにあった紀州徳川家の祈願寺だった威徳寺という由緒あるお寺だ。

 門をくぐるとすぐに登り坂になり、また提灯が並んだ門をくぐり、急坂が続く。車も通れるようだが、行き来するのはほとんどが人。登ってみるとわかるが、この先は境内とその奥にある駐車場で行き止まりなのだ。入口にも、参拝者と駐車場利用者以外進入禁止と書いてある。

 ところがである。

 屋根のついた駐車場の奥を見ると、その先へ続く階段があるではないか!

駐車所奥から続く階段。知っている人しか通らない

駐車所奥から続く階段。知っている人しか通らない

 登るとさらに奥に道が続き、たくさんの人が行き来している。通行できるのは午前7時から午後6時まで。酔っ払いは通れない。昼間だけの生活道路だ。

 江戸時代はこの階段の右奥に大岡越前守の屋敷の一つがあった。階段先の道路は江戸からあり、古くからの通路だったのだろう。寺の敷地だからと言って通せんぼできないようだ。

 登った道を左、左と回り込んでいくと、新しく再開発されたビルの一角に出る。一見行き止まりのようだが、近づくと通路が続き、茂みに隠したような場所に「午前7時から午後7時半通行可」と書いてある。

知らなければこの先に進もうとは思わないだろう

知らなければこの先に進もうとは思わないだろう

 ここも同じ事情の「道」のようだ。私有地ではあるものの、これまでの事情を考えて人を通しているのだろう。しかしこちらの道ではほとんど人とすれ違わず、先の赤坂不動尊と比べ認知度はやや低いようだ。

人通りのない階段

人通りのない階段

 壁に囲まれた階段や通路を進んで行くと一ツ木通りに出る。先ほど入った細道がほぼ正面だ。右に進んで最初の角を右に入る。するとあっという間に街の雰囲気が変わる。人通りが多く、がやがやとうるさく色とりどりだったのが、突然静かになり、人通りも少なくなる。

 一ツ木通りは江戸時代も町人の町。今入った通りは武家屋敷の通り。今は住宅やマンションが並ぶ。やはり江戸の土地利用が現代に影響しているのだろう。右側に、幅が広く踊り場に大きな木が伸びる丹後坂を見て進むと、駐車場と駐車場の間に道がある。この道は江戸時代の地図にも書かれた古い通りだ。

江戸時代から続く細道。両側は旗本屋敷だった

江戸時代から続く細道。両側は旗本屋敷だった

 少し下り右に曲がるが、ここはこの先から発する小さな谷の谷底で、川が流れていた。昔の屋敷境界が今も土地の境界となって残る。

 再び登っていくと左右に続く通りに出る。この通りを円通寺坂というが、江戸時代はこの通りの南側はずらりと寺が並んでいた。今は坂下の浄土寺と、坂上の円通寺の二つしか残っていない。

 右へ進むと、左側の自動販売機の上に鈴降稲荷、との看板がある。

鈴降稲荷を示す看板。下に怪しい石

鈴降稲荷を示す看板。下に怪しい石

路地を入ってみると、奥のマンションの一角に赤いのぼり旗がはためく。本能寺の変の際、本国へ逃げ帰る徳川家康を伊賀の山中で導いた鈴が収められているという。もとは四谷にあったが、江戸時代にここに移ってきた。

 ここは袋小路なので元へ戻るが、さきほどの自動販売機の下をのぞいて欲しい。やけに太い四角柱の石が、囲いの下に埋まっている。円通寺坂を進んで次の自販機の隣にも同じような石がある。近づくとなんと「陸軍」の字が読める。

隣の自販機下にも石

隣の自販機下にも石

そしてその先の区営住宅の敷地境界にも同様の石があり「陸軍省所轄」と読める。

陸軍省所轄とはっきり読める

陸軍省所轄とはっきり読める

最後の石はおそらく下にまだ文字があり、全体で「陸軍省所轄地」と彫られているはずだ。

 これは戦前、陸軍用地の境界を示した石で、陸軍境界石などと呼ばれている。つまりこの道の左側には陸軍の用地があったのだ。

 明治から敗戦までの間、今の赤坂サカス、TBSのある丘の上には、近衛第三連隊が駐屯していた。レンガ造り三階建ての兵舎は赤坂のシンボルだったという。ここの将校らも赤坂の料亭街の上客であり、赤坂は軍の街だったのだ。

 坂から左の公園に入り、階段を登って右手に赤坂パークビルヂングがあるが、その一角に近衛歩兵第三連隊跡の碑が建っている。

近衛歩兵第三連隊跡の碑

近衛歩兵第三連隊跡の碑

 ビルの正面玄関に出て左に行くと急坂が下ってる。江戸時代から有名な急坂三分坂(さんぷんざか)だ。坂は下らずに正面方向に進むと右手に公園がある。一ツ木公園と言うが案内板があり、この一帯が江戸時代は広島藩浅野家の屋敷であり、明治になって近衛連隊が駐屯したことが書かれている。この公園のあたりは、連隊を統括する近衛第二旅団司令部が置かれていた。

 公園に入って奥に進むと、通路がある。進んで行くとやがて下り階段になり、地下鉄赤坂駅のある通りに出る。

一ツ木公園から下る階段

一ツ木公園から下る階段

 江戸から続く町人地はやがて歓楽街になったが、その奥には大名屋敷やお寺や軍の駐屯地があった。様々な側面があった赤坂を堪能した細道だったと思う。

■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
 ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

■ブログ
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