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NO.18 月島の細道 ~巨木が突き抜ける地蔵尊の細道~

 
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tsukishima

No.18 月島の細道
巨木が突き抜ける地蔵尊の細道
長さ 33メートル      
         最狭幅 50センチメートル
歴史度 ★★★★   
狭隘度 ★★★★   
魅力度 ★★★★★

 ここのところ長い細道が続いたので原点に立ち戻っての短い細道である。というか今回の細道はこれまででもっとも短い細道だ。しかもカーブも角もなく一直線。しかしなかなか驚きに満ちた細道だと思う。

 東京メトロ月島駅を降りて、昔の佃島の街へ向かう。ご存じの方も多いかと思うが、佃島とは江戸時代からの由緒ある埋め立て地で、もともとは徳川家康が大阪から呼び寄せた漁民が住み着いて造った島だ。「佃煮」発祥の地でもある。

 今も残る船だまりの堀割は、その背後にそびえる超高層マンションとのコントラストが面白く、よくテレビや写真で登場する。

佃島の町並みと高層マンション。右側に細道入口

佃島の町並みと高層マンション。右側に細道入口

 堀割の周りは広場のようになっているが、その一角に堀に背を向けて神社が建っている。その神社と道路を挟んで向かい側に「佃天台地蔵尊」という目立たない木の看板が立つ。

「佃天台地蔵尊」の看板

「佃天台地蔵尊」の看板

 はてどこにも地蔵堂などないぞ。

 ところがである。

 看板の立つ住宅と住宅の間に隙間があり、入り込めるようになっているではないか。

ここに足を踏み入れるのには勇気がいる

ここに足を踏み入れるのには勇気がいる

 ここは知らないと入ろうとは思わないだろう。恐る恐る入ると、やがてオレンジ色の二つの明かりが並んだ場所に出くわす。

なにやらオレンジ色の明かりが見える

なにやらオレンジ色の明かりが見える

 のぞいてみると初めて訪れた人はあっと驚く。まずは巨大なイチョウの木の幹が床から天井を貫き、その周り奉納物とおぼしき赤い提灯がぐるりと取り囲んでいる。

お堂の中に突然太い木の幹が・・・

お堂の中に突然太い木の幹が・・・

 真ん中にはいつ訪れても美しい花々に囲まれた黒い石の板が建つ。

美しい花の絶えない線刻地蔵像と祠

美しい花の絶えない線刻地蔵像と祠

 よく見るとお地蔵様の姿が線刻されている。

線刻地蔵像

線刻地蔵像

 このお堂(?)に掲げられた縁起には「佃天台子育地蔵尊」と書かれ、先の看板に「子育」の字が加わっている。この石の線刻像がそのお地蔵さんのようだ。

 しかし奥の右に目をやると、神社のご神体が収められていそうな小さな石の祠が鎮座している。さらにその左には木の柵で囲われた一角。のぞいてみると地面から二つの石がニョキッと顔を出している。不思議な光景だ。何か神聖な石なのかもしれない。

謎の石が地面から生えている

謎の石が地面から生えている

 お堂というより中にいると「部屋」という感じだが、両側は普通の住宅。玄関のような入口もある。奥の壁の向こうは道だ。住宅がぎっしり詰まったど真ん中に、このイチョウと、神仏が置かれているのだ。

 さてこの場所の由来だが、お堂(?)に入って右手の「縁起」を一生懸命読んでみてもさっぱり要領を得ない。いったいいつこのお堂ができて、地蔵尊はいつ造られたのか? あの石や祠はなんなのか? 何も書かれていないのだ。

 実は一時ここを区の文化財に指定しようという動きがあったらしいが、所有者らが拒んだらしい。ということで公的な調査の手は入らず、確かなことは不明である。ただ「縁起」を読み解くと、上野の寛永寺そばにある浄明院というお寺と関係があるらしい。浄明院は八万四千体もの地蔵像を造ることを目指して境内に無数の地蔵が立つことで知られるが、この運動を始めたのが浄明院住職だった妙運和尚で、この地蔵像にも「妙運」と彫られているという。妙運は寺に地蔵を建てるだけでなく、地蔵の絵を全国に配っており、その一つがここで線刻の地蔵像となって残っているようだ。

 妙運が浄明院住職になったのが1876年で、亡くなったのが1911年だから、明治以降の比較的新しい話だ。しかし「縁起」にはこうした年号はちっとも出てこない。

 しかし、明治初年の地図にはすでにここになにがしかの社があったように描かれているので、実は線刻の地蔵像以前にも、何か信仰の対象があったのかもしれない。さらに地蔵の由来はある程度わかったとして、先の古い祠や、謎の石がなんなのか依然としてさっぱりわからない。

 そして堂内をどーんと貫くイチョウの木。直径一メートルはくだらない。樹齢100年ということはないだろう。200年ぐらいはありそうだ。先ほど入ってきた道を抜けながら上を見ると、イチョウの葉が空の隙間を覆っている。

頭上の隙間にイチョウの葉の緑が見える

頭上の隙間にイチョウの葉の緑が見える

 もともとは埋め立て地なので、400年以上の歴史はないと思われるが、江戸時代のどこかに信仰の起源を持つようだ。

 道路へ出ると、そこには門があり、赤いのぼりも立っている。本来はこちらが表口らしいが、まあ裏からの方がわくわく感はある。見上げるとイチョウの枝が家々の上に大きく覆い被さっている。

表側から見ると、イチョウの枝が住宅の上に覆い被さるようになっている

表側から見ると、イチョウの枝が
住宅の上に覆い被さるようになっている


 
落ちた葉はどうするのだろう、と余計なことが心配になる。木の生長とともに、お堂の改修も何年かに1回は必要なはずだ。

 全く興味の尽きない細道である。
 

■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
 ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

■ブログ
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