COLUMN

NO.17 赤羽西の細道 ~谷と台地行き来する迷宮の細道~ – 江戸東京細道散歩

 
column_bnr_kuroda

akabanenishi

No.17 赤羽西の細道
谷と台地行き来する迷宮の細道
        長さ およそ1.8キロメートル
              最狭幅 40センチメートル
歴史度 ★★★   
狭隘度 ★★★★
魅力度 ★★★★

 赤羽というとどんなイメージだろうか。団地の街?安い飲み屋の街?馬鹿祭りの街?とまあいろいろあると思うが、都心部の街と違ってあんまりプラスイメージがないのが正直なところだろう。ここは23区の北の外れ、江戸時代にはとてもとても江戸とは言えない郊外である。

 そして赤羽という地名ができたのも明治以降だ。古くは赤羽根あるいは赤場根と書いた。しかも栄えていたのは岩槻街道の宿場だった岩淵宿で、1932年に東京市に編入されるまでは今「赤羽」とつく町名の場所はすべて岩淵町で、その中でも今回紹介する赤羽根西は稲付(いねつけ)町という地名だった。今は「赤羽」「赤羽北」「赤羽南」「赤羽台」「赤羽西」と「赤羽」のつく地名がやたら増えた。

 「赤羽」がメジャーになっていくきっかけは鉄道の設置だ。1885年に東北線と東海道線を東京の西側でつなぐ線ができ、このとき赤羽駅が東北線からの分岐点の駅として開業した。なぜ「赤羽根」でなく「赤羽」にしたかは不明だが、この時以来、「赤羽」の表記が主流になっていく。さらに赤羽駅西側の台地上に次々と軍の大規模施設ができ、ここで働く人や、軍を相手にした商売で町が栄えていくようになる。

 赤羽付近は谷が複雑に入り組んだ台地上の地形で、軍は広々とした台地の上を占拠した。唯一残された現在の西が丘1丁目あたりは高級住宅地になり、庶民は谷底や斜面の土地にぎゅうぎゅう詰めになって家を建てた。

 その結果が今回の細道だ。赤羽西2、3、4丁目あたりを歩くのだが、台地に刻み込まれた谷から斜面を登り、下り、台地を横切り、よくもまあこんなにびっしり住宅を建てたものだ、というのが感想である。

 さて前置きが長くなったが、今回の出発点は先に出て来た旧岩槻街道、赤羽駅前の都道460号線を南に行く。現在拡幅事業が進行中で、片側1車線で歩道のなかった道路が、幅20メートルになるそうである。もうちょっとで埼京線をくぐる少し手前、清水坂公園への案内表示のある小道の手前がスタートだ。

 「稲付山法真寺」との看板がある。

法真寺の案内のある細道出発点

法真寺の案内のある細道出発点

 室町時代からの由緒あるお寺で、そもそもこの道は法真寺への参道だったようだ。まっすぐ行けば、山門に突き当たる。おもしろいのは道の左側。普通なら歩道がありそうな場所がフェンスで仕切られており、供養塔や寺の掲示板が立っている。ここも寺の土地なのだろう。住宅開発が急速に進んで取り残された様子がよくわかる。

 細道らしくなるのはその右側、新しいマンションの先に急階段が続いている。ここが細道入口だ。

台地へ登る急階段。左の家はこの踊り場に開いた玄関以外入口がない

台地へ登る急階段。
左の家はこの踊り場に開いた玄関以外入口がない

 階段途中にある家は、踊り場が入口、玄関だ。下の道への通路がない。つまり自動車が着けられる入口がない。冷蔵庫とかこの階段を運ぶのだろう。上まで登るとさらに先に細道が続く。急斜面の途中に家を建て、無理矢理通路を作った感じだ。コンクリート壁などは相当年期が入っている。

階段を登った細道脇の擁壁。鉄骨で崩落を防いでいる

階段を登った細道脇の擁壁。鉄骨で崩落を防いでいる

 へたをすると戦前かもしれない。

 突き当たりは左右に分かれ、上と下に家があるが階段でしか行けない。左へ進んで途中少し階段を登ると平らになり、正面に法真寺の境内があって、左手は香取神社という神社だ。神社の鳥居を見送ると長い急石段が下に向かっている。

香取神社からの下り階段。これが本来の表参道のようだ

香取神社からの下り階段。これが本来の表参道のようだ

 下ると、さきほどの法真寺参道の続きだ。これが本来の神社参道だろう。寺の山門と反対に戻って、鋭角の三叉路を右に曲がる。

 進んで行くと右角に古びた門のある家があるのでそこを右折し、すぐの細道を右へ入ろう。

谷底の細道入口。おそらくは昔は川

谷底の細道入口。おそらくは昔は川

 アパートや民家の裏道だが、ここは狭い谷底なので、おそらく昔は小川が流れていたのだろう。そこを暗渠にしたように思う。この細道が凄いのは突き当たり。正面に青いトタン塀があり、右から木が倒れかかって遠目にはどう見ても行き止まりだが、角にはマンホールがあり、昼なお暗い道が右へと続いている。

どう見ても行き止まりだが、右に道が続く。下のマンホールにも注目

どう見ても行き止まりだが、右に道が続く。
下のマンホールにも注目

 先へ抜けると車も通れる道となる。右の新しいマンションを見ながら右手の階段を登る。また台地の上に戻るのだ。登って左へ行き、最初の横道を左へ下る。この道がまたおもしろい。芝の道の真ん中に昔懐かしいコンクリートの敷石が点々と並んでいる。

芝の美しい細道

芝の美しい細道

右に折れ、左に折れると、崩れた石段の狭い隙間を通る。

その先はこのような「道」に。地図上は公道のようだ

その先はこのような「道」に。地図上は公道のようだ

 とてもこれは道とは思えないが、この通路にしか入口のない家が何軒もある。地図で見ても公道表記だ。びっくりである。

 折れ曲がって少し太い道に出るが、そこも自動車は入れない。ちょうど住宅のリフォームをしていたが、作業員が足場を全部手で運んでいた。大変だ。

 その先、左、右と細道をくねっていき、崖っぷちのような道を進む。このあたりは谷の源頭のようだ。坂を登ってようやく少し平らな、普通の住宅街っぽい場所に出る。

 ところがである。

 油断は禁物。ちょっと裏に入るとまた自動車の入れない道に住宅が建ち並んでいる。建築基準法の規定では、道路とは4メートル以上の幅で、住宅はその道路に2メートル以上接していなければならないはずだ。ここはどう見ても道幅1.5メートル。そこに10軒くらいの家が玄関を開いている。特に裏口もない。どうなっているのか? おそらく法の規制以前からこのような敷地割りだったのだろう。火事などを考えると恐ろしいのだが。

 古い地図を見ると、関東大震災以前はほとんど原野か畑のような表示になっているのが、昭和初期にはすっかり密集住宅地になっている。震災をきっかけにこのような町並みになったようだ。

 その先にも同様の町並みがそこここに残る。また家と家の間に双方の家の敷地ではない隙間がある場所も多い。

住宅の間の細い通路。なんのためにあるのか?

住宅の間の細い通路。なんのためにあるのか?

 きちんと舗装されている場所もあり、そうした場所は両側に塀もあるが、通路の意味がよくわからない。なくてもあまり生活に支障はなさそうだが、通り抜けたい近所の人がいるのだろうか。また舗装されていない隙間も結構ある。そんな場所には塀すらない。

これも実は地図には「道路」となっている空間

これも実は地図には「道路」となっている空間

 建物と建物が直に隣り合っている。

 謎である。いろんな昔からのいきさつがあるのだろう。

最狭部分。右のスペースは右側の建物の建て替えに伴い、 将来の道路スペースとして空けられたらしいが、 以前はここは塀で囲われていたのだろう

最狭部分。
右のスペースは右側の建物の建て替えに伴い、
将来の道路スペースとして空けられたらしいが、
以前はここは塀で囲われていたのだろう

 坂を下ってまた谷底に戻ると、昔工場だった場所に大きなマンションが建っていたりする。普門院という大きなお寺があるので、そちらの境内を通って再び最初の都道に出る。

普門院の塔。台地の谷の間に建つ

普門院の塔。台地の谷の間に建つ

 今回は適当な距離に納めるためにこのようなコースにしたが、実は赤羽西の迷宮は、ほかにも多数の細道を抱えている。この地域を担当する郵便局員は大変だ。新聞配達もだ。まず道を覚えるのが困難だ。そしてバイクすら入れない道も多数あり、玄関までの階段の上り下りも考えると気が遠くなる。

 これまで連載で紹介してきた細道はなにかしらの風情があり、消えてしまうには惜しいものが多かったが、ここの場合は微妙だ。探検のおもしろさはあるものの、昭和初期の東京の急速な拡大の「弊害」とも呼ぶべき負の遺産が残されているからだ。防災上危険きわまりない場所であり、消えていくのもむしろ歓迎すべき場所であるように思う。
 
■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
 ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

■ブログ
http://ameblo.jp/edojyo/
■フェイスブック
http://www.facebook.com/ryo.kuroda.96

 

この記事をシェアする