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No.15 千代田区・中央区、竜閑川の細道 – 江戸東京細道散歩

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No.15 千代田区・中央区、竜閑川の細道
都心に残された運河の細道
    長さ 1.9キロメートル
   最狭幅 1.5メートル
歴史度 ★★★★★
狭隘度 ★★         
魅力度 ★★★      


 
 今回の細道、実は前回と成り立ちが似ているが、場所は都心の千代田区と中央区にまたがり、さらに距離は1.9キロとこれまでで最長となる。そして江戸からの古い歴史があるので、実に見どころが多い。
 
 出発はJR神田駅が近い。神田駅南口から大きな通りを大手町方面に進んで行くと、竜閑橋という三叉路の交差点がある。向かいに都税事務所や千代田区のスポーツセンターがある。建物の向こうはもう日本橋川だ。交差点を左に進んでいくとまもなく、歩道の脇に小公園のような茂みがある。のぞいてみると古びたコンクリートの長い塊が横たわっている。

保存されている龍閑川の橋桁と親柱。この表記は「龍」

保存されている龍閑川の橋桁と親柱。この表記は「龍」

 これが何を隠そう、先ほどの交差点名になっていた竜閑橋の橋桁なのだ。しかし見回しても今は少し離れた日本橋川のほかに川はない。この橋はどこに架かっていたのかというと、今は埋められてしまった、まさにこのコンクリート塊が置かれた場所に流れていた竜閑川をまたいでいたのだ。
 
 この橋桁がなぜ保存されているかというと、コンクリートトラスという珍しい造りだからそう。トラスというのは四角の枠に対角線上につっかえ棒を渡した形。上を通る自動車などを支えるために橋桁ではよくこの形を見かけるが、普通は鉄骨製だ。これは1926年に造られた鉄筋コンクリート製。橋の工法はともかく、ここに川があったという面影として、いつまでも残してほしいものだ。
 
竜閑橋と聞いてぴんと来た方は時代小説通。竜閑川が日本橋川と合流するやや上流は、江戸時代は鎌倉河岸と呼ばれた。そう、佐伯泰英先生の大ヒットシリーズ「鎌倉河岸捕物控」の舞台なのだ。小説に出てくる豊島屋という酒屋は、さきほどの竜閑橋交差点の近くに実在した。主要登場人物の一人、彦四郎の働く船宿綱定はこの竜閑橋のすぐそばにあったという設定だ。

 さて、竜閑橋の橋桁から目をやると、細い路地がJRのガードの方へ続いている。これは竜閑川を埋め立てた跡だ。見事にまっすぐに道が続いている。そちらへ進んでみよう。ガード下は戦時中の闇市のような店が並ぶ怪しい空間。

ガード下の怪しい「今川小路」。ネコが怪訝そうに見ていた

ガード下の怪しい「今川小路」。ネコが怪訝そうに見ていた

 今川小路などという名前もついている。くぐって出ると新しい大きなビルもあるが、すぐに小さな飲み屋、食堂などがならぶ。一応車も通れそうだが、看板やら荷物やらが道を封鎖していて、とうてい車が通れるとは思えない。途中、左右を貫く道を渡るが、その名も「日銀通り」。確かにちょっと行けば日銀があるのだが、違和感がはなはだしい。

 また意外にもこの周辺には小さな神社が多い。さきほどのガードを出たところから右に行って路地を入ると白旗稲荷という神社がある。

白旗稲荷。門の紋が2種。右が普通の稲荷の紋。左が源氏の笹竜胆紋

白旗稲荷。門の紋が2種。右が普通の稲荷の紋。左が源氏の笹竜胆紋

 小さな社殿にはお稲荷さんの紋のほかに源氏の笹竜胆(ささりんどう)紋。なんとこの神社、源義家が建てたという伝説もあるのだ。ざっと1000年前、びっくりである。元は竜閑川の際にあったが、東北新幹線の建設工事のためここに移った。
 
 竜閑川の道から一つ南の道には、中央通りに出る少し手前に家内喜稲荷というなんとも縁起の良さそうな名の神社がある。これで「やなぎ」と読む。ほかにもこのあとの道沿いには、両社稲荷、福田稲荷などという神社もある。

 中央通りと交わる部分には残念ながらまっすぐにわたれる横断歩道がない。少し迂回して進むが、この場所には記念碑がたくさんある。中央通りは江戸時代から江戸最大のメインストリートだった。ここを川が横切るとなれば当然橋があった。名を今川橋と言う。
 
 これも今はくなってしまったわけだが、その記念碑が中央通りの両側に3か所もあるのだ。まず中央通り手前左のビルの脇に、「今川橋跡」という碑がある。

今川橋跡の碑

今川橋跡の碑

 さらに中央通り際に今川橋由来碑、という金属板がある。これには江戸時代の今川橋や竜閑川の絵が描かれていてわかりやすい。

江戸時代に描かれた今川橋の絵がある今川橋由来碑

江戸時代に描かれた今川橋の絵がある今川橋由来碑

 そして中央通りを渡った右斜め前のビルには「今川橋のあとどころ」という碑と池がある。
 
 どんだけ惜しまれた橋なのか、あるいはただ記念碑を一つにまとめられなかっただけなのかよくわからないが。この橋の名にはもう一つお話しがある。今川橋の名は、橋を架けた名主(有力町人)の今川善右衛門にちなむそうで、その名を取った町も近くにあった。この町で今から250年ほど前に、小麦粉の生地を円筒形の金属に流し込み、中にあんこを入れて焼く菓子が発明され、大人気となりまたたく間に全国に広がった。
 
 今川焼きの誕生である。今川義元や「桶」狭間がうんぬんというのは俗説。この今川焼きから明治になって鯛焼きが派生する。

 竜閑川に戻ると、たちまち中央通りの喧噪がウソのような静けさだ。路上には懐かしいチョークで書いた子供のいたずら書きなどが残る。

落書きの書かれた竜閑川跡の道

落書きの書かれた竜閑川跡の道

 そして昭和通りの手前にトイレなどもある小公園。ここに埋め立ての経緯などを記した碑がある。この場所にはかつて地蔵橋という橋があった。さらに道は続く。
 
 ところがである。
 
 正面に横断歩道がない。しかも回り道の横断歩道もかなり遠い。仕方ないので目の前の歩道橋を渡る。これは昭和通りの上を首都高速が通ってしまったからだ。昭和通りを横切るのはどこでもかなり面倒くさい。早いとこ撤去してほしいものだ。

 仕方なく歩道橋(要は上り下りがしんどいだけなのだが)を渡って降りるとそこにも小公園。こちらには解説板がある。それによると、竜閑川は元は神田八丁堀と言った。1657年の明暦の大火で防火の重要性を悟った幕府などは、竜閑川の北にあたる場所に火除け土手を築いた。その後土手の南側に空き地(火除け地)を設け、さらに1690年代に堀を掘ったという。これが竜閑川となった。まっすぐなのは六間堀と同じ人工の運河だったからなのだ。

 そしてこの川がその後は日本橋と神田の境界となり、ひいては現在の千代田区と中央区の境になった。そう、いままではずっと千代田区と中央区の区界を歩いてきたのだ。右が中央区、左が千代田区である。
 
 南側に小伝馬町の牢屋敷跡の十思公園をかすめながら進むと、やがて竹森稲荷という神社のある公園に出る。ここもまさに千代田区と中央区の境にあり、千代田区側は龍閑児童公園、中央区側は龍閑児童遊園と書かれている。

一つの公園に二つの名前。左が千代田区の

一つの公園に二つの名前。左が千代田区の

 竹森稲荷は江戸時代からある由緒あるもので、「江戸七森」と呼ばれた「森」の字のつく有力神社の一つだったという。
 
 竜閑川はここで右に直角に曲がって、名前を浜町川と変え、隅田川までまっすぐ続いた。左にも明治以降運河が切り開かれて、こちらは神田川までまっすぐ続いた。当初川が作られたのは火災の延焼防止が目的だったが、水運にも当然役立てられたわけで、江戸・東京の経済発展とともに水路網が伸びたわけだ。
 
 ここから先の道は道の両側とも中央区になる。また竜閑川と浜町川で、いろいろ扱いが違ってくる。凹みのあるコンクリート製の排水路のようなものが道の真ん中にあり、今までの車道前提とは少し趣が違うのだ。

かなりうら寂しい細道

かなりうら寂しい細道

当然車は通れない真正細道だ。その理由はところどころに建つ注意書きを見るとわかる。駐輪禁止などの看板に「この通路は都有地で東京都下水道局が管理しています」と大書されている。そもそも道路ではないのだ。川にフタをした「通路」なのであって「道路」ではないらしい。

「通路」なんです

「通路」なんです

 しかしそのせいかビルの裏側のような場所が多く、これまでに増して人気がない。タバコをしゃがんで吹かしている人も多い。途中には両側の建物から屋根が差し掛けられ、会社の敷地のようになっている場所もある。

完全に私有地にしか見えないがどうなのだろう

完全に私有地にしか見えないがどうなのだろう

 しかしところどころ、小さな飲食店が軒を並べるところもあってなかなかおもしろい。
 
 左手に交番を見て、最後の飲食店街っぽいところ

中央区とは思えない場末感漂う飲食店街

中央区とは思えない場末感漂う飲食店街


いかにも川でした、というような痕跡も残る

いかにも川でした、というような痕跡も残る


を抜けると、左手に久松小学校がある。正面に道はないが、小学校との間の道を進むと久松公園という広い公園だ。

久松公園。右の建物が久松小学校。

久松公園。右の建物が久松小学校。

 これもかつての川跡だろう。左手に久松警察署を見て終点とする。

 大通りの向こうには消防署があり実はその向こうには、浜町川を埋め立てた浜町緑道がえんえんとかつての隅田川まで続く。そこはもう文字通り公園になっていて、ここから先は公園散歩になってしまい、細道とは言いがたいのだ。
 
 しかし都心部にこんな「道」がえんえん続いているとは意外に思われる方も多いだろう。いっぺんに全部は大変なので、部分的に踏破することをお勧めする。

■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
 ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

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