COLUMN

No.14 森下・六間堀の細道

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四谷・鮫が橋の細道

No.14 森下・六間堀の細道
下町に残る一直線の細道
長さ 400メートル  
    最狭幅 1.5メートル
歴史度 ★★★★
狭隘度 ★★       
魅力度 ★★★   

 今回の細道、ただ歩くだけでは細い一本道が続くだけなのでやや面白みには欠けるが、その成り立ちを知れば、「ほお、こんな道もあるのか」と思うことだろう。
 都営新宿線・大江戸線の森下駅を降り、新大橋通りを隅田川の方へ向かう。通りを渡る歩道橋のたもとに、新大橋三丁目児童遊園というささやかな公園がある。

新大橋三丁目児童遊園

新大橋三丁目児童遊園

砂場とちょっとした遊具があるだけなので、車などで通ったら見過ごしてしまいそうだ。その奥には、マンションらしき中層階のビルが建っている。
 ところがである(今回は早い!)よく見ると二棟の建物の間に隙間があり、そこに降りていく階段と、向こうには道があるではないか。

知らないと気づきそうにない細道入口

知らないと気づきそうにない細道入口

 ここが今回の細道の出発点だ。
 道はきちんと舗装もされ、地図にも公道として載っている。自動車はとても通れないものの、さほどひどく道幅が狭いわけではない。ゆっくり行けば自転車ならすれ違えそうな場所もある。
 歩いて行くとすぐに、右手が開けてまた小さな公園がある。名前を六間堀児童遊園という。

六間堀児童遊園。細道は柵の向こう側

六間堀児童遊園。細道は柵の向こう側

この公園の名前に今回の細道の由来が隠されている。さらにこのあと、一直線の道がずっと続いていくのだが、それもそのはず、この細道は江戸時代に切り開かれた六間堀という運河の跡なのだ。
 現在の江東区や墨田区のあたりは、徳川家康が江戸に入ったころはまったくの湿地帯で人が住むには適さない場所だった。しかし現在の千葉方面と江戸城との交通路を確保するために1590年に小名木川が運河として切り開かれたのを皮切りに、この地区には縦横に運河が作られて徐々に街としての形を整えていく。
 特に大きな契機となったのが1657年に起きた明暦の大火だった。この火事で江戸の街は大部分が焼失し10万人が死んだとの説もある。江戸の街が狭く密集していたのが大惨事の一因だった。これに反省した幕府は、隅田川に橋を次々と架け、隅田川東岸の本所・深川地区の開発を進めていった。
 運河とは言っても陸地に溝を掘って川にするというより、浅瀬や葦が生えて舟も通れない場所を切り開いて泥を浚渫し、両側に盛り上げて陸地としていく、といったイメージが正しいだろう。
 このように陸だか海だか判然としない場所に水路を通すことで、その水路が排水路となって周囲の土地が乾いて陸地になっていく。このような水路をたくさん作ることで、江東区あたりはしっかりとした陸地になっていった。
 この六間堀もそうした水路の一つで、先の小名木川と、明暦の大火後間もなく作られた北の竪川を結ぶ水路として17世紀の末に作られたらしい。名前の由来は幅が六間あったためで、今の単位で言うと10メートル以上あったことになる。結構大きな舟も入って来られたことだろう。
 この児童遊園の場所は、さらにここから五間堀という堀が分岐する場所だった。地図を見ると、この場所で墨田区と江東区の境界が鋭角に曲がっている。もともとは六間堀と五間堀が両区の境界だったのだ。
 江戸時代から明治・大正までは水運路として大いに活躍した堀だが、自動車交通の発達などで使われなくなり、六間堀は1951年に埋め立てられてしまった。今歩いている細道はその名残の道というわけだ。

堀跡の哀愁漂う細道

堀跡の哀愁漂う細道

このように運河跡がたどれるのは、六間堀ではここだけだ。新大橋通りの南側にはこうした道は残っていない。
 人工的に作られた水路なので、その跡の道もまっすぐだ。細いながらもどこまでも先まで見通せる。両側は住宅や小工場が多く、近年は小規模なマンションも次々に建っているようだ。おもしろいところでは、このあたりは両国も近いため、旧三保が関部屋も旧堀跡にある。

旧三保が関部屋

旧三保が関部屋

 両側の建物が高いせいか日当たりは悪く、植木などを置いている家も少ない。エア加温の室外機などばかりがあり、こういってはなんだが殺風景な道ではある。
 途中、車道を2回ほど横断すると細道歩きは終了だ。竪川べりの建物に行き着く。目前の住宅の隙間から、竪川の上を走る首都高速の赤い橋桁がのぞいている。

細道終点。よく見ると建物の間に首都高の赤い橋桁が見える

細道終点
よく見ると建物の間に首都高の赤い橋桁が見える

■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
 ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

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