COLUMN

NO.8 台東区・谷中の細道

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ヒマラヤ杉に続く寺町の細道 長さ 260メートル 最狭幅 1.2メートル 歴史度 ★★         狭隘度 ★★★     魅力度 ★★★★

ヒマラヤ杉に続く寺町の細道
長さ 260メートル
最狭幅 1.2メートル
歴史度 ★★        
狭隘度 ★★★    
魅力度 ★★★★

 谷中という地名は現在、台東区谷中という住所が7丁目まである。ほかに寛永寺のある台東区上野桜木、道灌山のある荒川区西日暮里3丁目あたりも一般的に谷中の範疇だろう。最近は夕やけだんだんという階段道のある谷中銀座商店街が有名になっているが、江戸時代から続く寺町の一帯を今も谷中と呼び習わしている。

 このあたりには私が調べただけで江戸時代には100近い寺があり、その9割方が今も残っている。幕末の上野戦争、いわゆる彰義隊の戦いで被害を受けたものの、関東大震災や戦災の被害をあまり受けていないこともあり、高層ビルがほとんどない、古い江戸の街の
風情を残している。

 しかしその寺のほとんどは江戸時代に創立されたか、それ以前の創立でもほかから移ってきた寺ばかりで、もともとここに江戸以前からあったお寺はほとんどない。江戸以前の古い歴史を誇るのは、鎌倉時代に創建されたという天王寺ぐらいだ。

 そのわけは、徳川幕府の都市計画でこの地域に寺が集められたからだ。谷中は江戸城から見て鬼門の方角にあたり、将軍の墓のある寛永寺始め、多くの寺院が江戸城鬼門守護の役割を担った。また江戸初期の明暦の大火以降、おもに神田、八丁堀あたりの寺院が多数移転させられ、寺町を形成した。谷中は江戸の北の台地上にあり、北から攻めてくる敵に対しては重要な防御拠点だ。その場所に、いざという際には砦となる寺を集めるという意図もあった。

 さて今回の細道の入口になる玉林寺は1591年、徳川家康が江戸に入った翌年の創建だ。谷中ではかなり古い部類に属するためか、その後も大きな寺となり、江戸時代は周辺の土地を12もの寺に貸していた、という。今の言問通りから裏の三浦坂までの一角が、往時はすべて玉林寺の境内だったというから実に広大だ。

玉林寺入口

玉林寺入口

 今も寺の入口は言問通りに面しており、立派な石柱が立っている。まずは参道を歩くがすぐに右側に石塀で隔てられた道があるのでそちらへ進んで行く。舗装された細い道が続く。

本堂の手前で右にそれる

本堂の手前で右にそれる

 ところがである。

 なんとすぐに道の真ん中や左右に大きな木が立っているではないか。立派に舗装されてはいるものの、これではとうてい車は通れない。ま、木がなくてもかなり道幅は狭いので、軽自動車でも通るのは難しそうだが。しかしどうするとこういうことになるのだろうか? 細道の突き当たりや左に折れたあたりには、普通の民家っぽい家やアパートなどがあるのだが、車は入れないから不便だろう。それ以前に消防法的にまずい気がするが。

太い木が道に鎮座している

太い木が道に鎮座している

 すぐ右に曲がると、屋根付きの手押しポンプの井戸が・・・。しかしこの井戸には「○○家専用」との木札が貼ってある。うーんなんだかなあ。

流し場の広い井戸。江戸時代は境内だし、この大きさは共同使用でしょう、と思うが

流し場の広い井戸。江戸時代は境内だし、この大きさは共同使用でしょう、と思うが

 井戸脇には狭い階段があり登っていく。登り切った右脇にも大きな木が立ち、舗装が根っこで盛り上がっている。少し進んで左に行くとこのあたりは車が何とか入れそうだ。でも出るのが大変そう。

狭いが割と新しいコンクリート製の階段

狭いが割と新しいコンクリート製の階段

 突き当たりの道を左に行くと大きな木が見えてくる。谷中のシンボルの一つ、みかどパン前のヒマラヤ杉だ。もともとは家の前に置いていた鉢植えだったのが、この大きさにまで育ったというから驚きだ。みかどパンでは最近「ヒマラヤ杉ラスク」というものを売っている。味は普通においしいのだが、ラスクの真ん中がヒマラヤ杉の形に抜かれて、別の焼き色のラスクがはめ込まれていてかわいい。女子に人気が出そうだ。

両側の道を覆う谷中のヒマラヤ杉

両側の道を覆う谷中のヒマラヤ杉

 さてこの道、どうしてできたのだろうか?

 現代の地図を見ると、どうやら公道だ。昭和30年代の地図にもはっきりと描かれており、戦前の地図にもほぼ同じ道が読み取れる。大正、明治とさかのぼっていくとどうもはっきりしないが、江戸時代の地図を見ると、どうやら玉林寺周囲の借地の寺との境界線が今の道筋とほぼ見合っている。江戸初期には借地だったものがいつの間にか所有地となり、明治以降の土地所有の厳密化で境界が顕在化して、道になったのかもしれない。

 細道に立っていた木はせいぜい樹齢100年ぐらいの感じだ。道ができてから木は植えないだろうから、木のあるところに道ができたのだろう。とすると道ができたのは大正ごろか? 歴史はそんなに古くはなさそうだが、谷中の寺町にそれほど細道はない。趣のある道といっていいだろう。

■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
 ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

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