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NO.7 渋谷・道玄坂の細道

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NO.7 渋谷・道玄坂の細道 もっとも危険な歓楽街の細道 長さ およそ1.1キロ 最狭幅 90センチメートル 歴史度 ★★★     狭隘度 ★★★     魅力度 ★★★★

NO.7 渋谷・道玄坂の細道
もっとも危険な歓楽街の細道
長さ およそ1.1キロ
最狭幅 90センチメートル
歴史度 ★★★    
狭隘度 ★★★    
魅力度 ★★★★


 若者の街渋谷は、渋谷川にかかる大山街道の橋を中心にできた谷底の街だ。だから渋谷駅に向かうと必ず下り坂になる。東横線の地上駅がなくなり、東急百貨店東横店の解体が始まり、都内でも屈指の規模の再開発が始まっているが、今回訪れる道玄坂あたりは、雑然とした街が変わる気配がない。

 渋谷駅から東急百貨店本店に向かう道を進み、真ん中ぐらいで左に入る小道がある。入口には道玄坂小路との看板がかかるが、恋文横町という名前の方が有名だろう。戦後の一時期、英語はわからないが占領軍の米兵宛にラブレターを書きたいという女性たちのために、代書屋が現れたのがこの界隈だったという。

恋文横丁の入口

恋文横丁の入口

 その話を聞きつけた作家の丹羽文雄が「恋文」という小説にし、のちに映画化もされて話題になった。それでこの道のあたりを恋文横町と呼ぶようになったというが、場所についてはいろいろ説がある。ここは途中の飲食店が「恋文横町へようこそ」との看板を掲げている。今では風俗店や飲食店が雑然と並び、24時間人波でごった返す通りになった。車も通れるはずだが、荷下ろしなどの用がなければ、ここに突っ込むのは勇気がいる。

 途中、右に登る階段の道がある。進むと両側は風俗店やラブホテルが並ぶ。ここから先は都内でも有数のラブホテル街だ。昼間から出入りしてる男女もいる。普通のカップルもいるが、半分ぐらいは風俗や売春ではなかろうか?

恋文横町から右に登る階段。この右上が百軒店のあったところ

恋文横町から右に登る階段。この右上が百軒店のあったところ

 階段を登り切った右側は、関東大震災後は百軒店(ひゃっけんだな)と呼ばれた老舗が集まる商店街だった。銀座や日本橋などが震災で大被害を受けたため、ここにあった華族の邸宅を区画整理し、老舗の商店を誘致して一大商店街にしたのだ。その事業を進めたのは、西武グループの創始者、堤康次郎だった。都心が復興するにつれ老舗はどんどん戻ってしまい、今ではラブホテルなどが集まる街になってしまった。

 目の前に路地のような隙間があるので入っていく。百軒店外れの崖地の上を通る裏口の道だ。道玄坂の大通りを一つ奥に入った通りになるが、こちらは夜はとても怖くて歩けないだろう。落書きや放置された物が多い。突き当たりを右に進むとラブホテルばかりの一角。左に道が続くので進んで行く。

百軒店と道玄坂の間の細道。道というより崖との隙間?

百軒店と道玄坂の間の細道。道というより崖との隙間?

 突き当たりはややはす向かいに入り、両側ラブホテルの隙間が右に入れる。この中にもラブホテルの入口がある。石畳が敷いてある部分もあり歴史を感じさせる。2、3回曲がると細い車道に出る。右手向こうに車止めのある細い道があるので進んで行く。この道にもラブホテル。

石畳が顔を見せるラブホテル隙間の通路

石畳が顔を見せるラブホテル隙間の通路

 車道に出て右に行き、最初の路地を左に歩くと、急な下り階段となる。下った左右が神泉谷と呼ばれる谷だった。江戸時代からこの谷の上流には、仙人が開いたとされるわき水があり、これを村人が共同浴場として利用していたという。のちに弘法大師と結びつき、湯の名は弘法湯となったが、地名は神仙、神泉となった。このあたりは急坂が多いので、大山街道を行く人たちが風呂で汗を流していったという。

 谷を左に行くと左に登る急階段がある。のぼって出た細道を進み、車道に出たら右、まだまだラブホテルが並んでいる。いったいどこまで続くのか、という感じだが、なぜこのあたりはこのような大ホテル街になったのか?

かつての料亭の風情も残る細道

かつての料亭の風情も残る細道

 江戸時代の弘法湯はひなびた共同浴場だったが、明治に入ってその様相が一変する。そのきっかけはこの先駒場から駒沢にかけて、陸軍の駐屯地、大演習場ができたことにある。農地や原野を切り開いてできた軍用地なので、一杯やったりくつろぐ場所がない。
そこでこの街道沿いの弘法湯周辺に料亭ができ、芸者置屋ができ、次第に繁華街になっていった。渋谷駅が開通したことも周辺が賑わう要因になった。大正時代には一大歓楽街になっていたという。戦後はそうした料亭などが廃れるのと入れ替わって、今のようなラブホテルが次々と建つようになったのだ。

神泉谷に続く階段

神泉谷に続く階段

 少し先でまた下る階段があるので降りていく。このあたりは有名な「東電OL殺人事件」の現場付近だ。左手には大きなトンネルが口を開け、その中に京王井の頭線の神泉駅が入っている。駅の前には踏切があり、渋谷駅方向はすぐにまたトンネルだ。なんとも奇妙な駅である。付近は相変わらず雑然とした町並みが続く。古きをしのぶものはないのだろうか。

神泉駅

神泉駅

 ところがである。

 踏切を渡った右側のコンビニ脇になにやら道標のような石柱が立っている。見ると、「右神泉湯道」と書いてある。明治19年に建てられたものだ。実はこの場所に弘法湯があった。戦後も銭湯として営業していたが、風呂の普及とともに客足が落ち、廃業した。跡地にはマンションなどが建つが、経営者の子孫が、駅脇で喫茶店を営んでいる。店内には古い写真などもあり、往時を偲ぶことができる。

 さて線路脇にはまた上り階段があるのでここを登る。登り切って右へ右へと曲がると左にゆるい階段が延びている。ここは芸者衆が着物の裾を汚さずに上り下りできるように、ゆるい階段なのだという。

芸者衆に配慮したというゆるい階段

芸者衆に配慮したというゆるい階段

 しかしこの奥にも今はラブホテル。突き当たりを右に行き、また突き当たりを左へ。すると道玄坂の上に出る。

 今回はかなり長距離を歩いた。しかも今までにない「危険な香り」のする道だった。できればお一人でなく、2、3人で歩くことをおすすめしておく。

■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
 ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

■ブログ
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