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NO.6 麻布台・飯倉の細道

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NO.6 麻布台、飯倉の細道 ゴーストタウンへ続く細道 港区麻布台 長さ およそ250メートル 最狭幅 90センチメートル 歴史度 ★★★★ 狭隘度 ★★★     魅力度 ★★★    

NO.6 麻布台、飯倉の細道
ゴーストタウンへ続く細道
港区麻布台
長さ およそ250メートル
最狭幅 90センチメートル
歴史度 ★★★★
狭隘度 ★★★    
魅力度 ★★★    

 東京メトロ神谷町駅から桜田通りを飯倉交差点に登って行く。
この道は現在は国道1号線だが、江戸時代の東海道は海沿いの今の国道15号で、こちらは当時は脇街道だった。
しかしさらに時代をさかのぼる中世には、この桜田通りが東海道の本道であり、小田原道と呼ばれて江戸と西を結ぶメインストイートだった。ややこしい。

 道は飯倉交差点で峠となる。左へ行けば東京タワー、右へ行けば六本木だ。右へ進んでロシア大使館前の物々しい警備が目に入る右側、駐車場の手前に見逃しそうな細い路地がある。
ここが今回の細道のスタートだ。

細道の入口には、なぜか消火用の送水口がある

細道の入口には、なぜか消火用の送水口がある

 道幅は1メートル少しはありそうだが、自転車が停められていて歩きにくい。
やがてビルの隙間のような道になるが、右手がすぐに開けてくる。
なんと広場にベンチが置かれ、「港区立飯倉雁木坂児童遊園」とある。
おそらく何かの建物の敷地を区が買い取って児童公園にしたのだろう、広さは172平方メートルしかない。
しかも施設は特になく、ベンチがあるだけ。
今回写真を撮るために訪れたときにはロシア大使館員とおぼしき男女がタバコを吸っていた。
あの、児童遊園なんですけど。
しかしこんな場所に遊びに来る子供がいるとも思えないのも事実。

飯倉雁木坂児童遊園に来る児童はどこに住んでいるのだろう

飯倉雁木坂児童遊園に来る児童はどこに住んでいるのだろう

 見て見ぬふりをして進むと、左側はビル。
右側は近くの宗教団体の看板がかかる一軒家が並ぶが、見るからに朽ち果てそうで、とても何かに使っているとは思えない。

 そしてすぐに道は突き当たり、階段中腹にある踊り場へと下る。
この階段は雁木坂といい、江戸時代の地図にも名がしるされている。
江戸時代は階段の道をみな雁木坂と呼んだので、実は江戸でもあちこちに雁木坂がある。
雁が群れで空を飛ぶ様子が階段状に見えるので、昔はぎざぎざの形を「雁木」と称した。
ここは昔から階段がある坂だったのだ。
傍らに木製の解説柱が立っている。坂の中央部分だけ古い石が使われており、かつてはこの幅しかなかったらしい。
幅一メートルもない細い階段だったようだ。

雁木坂へ下る階段

雁木坂へ下る階段

 下った左側には、くだんの宗教団体の巨大建築がある。
階段からまっすぐつながる道は江戸時代からある道だ。
左に登るとまた別の道が左右に伸びる。
この道は江戸時代の地図にも載っている。
道の向こう側は幕末には豊後臼杵藩稲葉家の下屋敷があり、階段の側は飯倉六丁目という町人地だった。

雁木坂の全貌。季節には桜が美しい

雁木坂の全貌。季節には桜が美しい

 さて今歩いた道はなぜできたのだろうか?

 江戸時代の地図を見ると、飯倉六丁目の東側には「藤井」という武家屋敷があり、おそらく境界に道があったのだろう。
明治初期の地図にも道のような隙間がある。
それ以降はさらにはっきりと生活道路としての道が鮮明に描かれている。
町屋の裏道が固定化されたようだ。

 登り切った道を右へ進む。
真っ正面に最近できたアークヒルズ仙石山の巨塔が建ち、異様な光景だ。
左側の敷地は立派な石垣が連なる。
明治以降も先の稲葉家が華族として屋敷を構えていたからだろう。
右側は真っ黒な巨大宗教建築。人を寄せ付けない雰囲気が漂う。

細道の行く手をさえぎるアークヒルズ仙石山

細道の行く手をさえぎるアークヒルズ仙石山

 しばらく進むと左側は日本郵便の広大な敷地になる。
かつては郵政監察局や貯金局があった。
少し下り坂になると道が白い石畳となり、車止めに「さんねん坂」と書かれている。
道は左に曲がり、石段の下り坂となる。
さらに右に曲がって坂下の車道に出る。

美しく整備された三年坂の石段

美しく整備された三年坂の石段

 入口には区の建てた説明板があり由来が記してある。
幕末の地図には階段の表記があり、坂と曲がりくねる階段があったことがわかるが名前はない。
説明板にもいつの時代に名がついたかはわからない、としてある。

 三年坂というと京都の清水寺近くの坂が有名だ。
この名前の坂にはここで転ぶと三年以内に死ぬ、などといった言い伝えが残されているところもある。
ここにそうした伝説があるのかはよくわからない。

 坂の上からは坂下に向けて谷が望める。
谷を隔てた前方に、先ほどの仙石山ヒルズなどの再開発ビルが並ぶ台地がある。
谷底には小さな家屋が建ち並び、好対照だ。

 ところがである。

 谷底の街に足を踏み入れてその表情がよく見えてくると、なにやら心寒くなる。

仙石山側から見た我善坊谷の風景

仙石山側から見た我善坊谷の風景

 この谷は我善坊谷といい、徳川秀忠の妻、お江を火葬した場所との説もある場所だ。
江戸時代、台地の上の環境のいい場所は大名屋敷などになり、こうした谷底は下級武士の屋敷や、町屋や墓となる場合が多かった。
ここは幕府の下級武士、御家人の屋敷が建ち並んでいた。
坂から下って出る十字路とその左右の道、仙石山に登る道などは江戸時代からあった道だ。
その後も屋敷地を引き継いだ小さな邸宅や、最近はマンションなどが建っていたが、今は様子が変わってきた。

 ここでは大手デベロッパーの森ビルが中心となった、虎ノ門・麻布台地区市街地再開発事業が進められており、一帯の多くの住宅が森ビルに買収され、空き家となっているのだ。
多くの廃屋に「立ち入り厳禁 森ビル」と書かれている。
コインパーキングも森ビル所有。
さらにはご丁寧に森ビル社宅まである。
買収したマンションを一時的に社宅にしているのだろう。
都心の一等地なのに、歩いていてほとんど人とすれ違わない。
店舗や会社が営業している様子が少しもない。都心のゴーストタウンだ。

 今回の細道は、入口も途中もなにやら薄暗い印象がぬぐえない。
実際の明るさと言うよりも周りの環境がそう感じさせるのだろう。そして最後が鼓動を停めた街。

 再開発で谷底には活気が戻るのだろうか。

■細道を実際に散歩した動画です。
※黒田さんのナレーション付き!

細道とは
 ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

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