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NO.4 四谷・荒木町の細道

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NO.4 四谷・荒木町の細道 大名屋敷の池だった巨大スリバチ 新宿区荒木町 長さ およそ200メートル 最狭幅 2メートル 歴史度 ★★★★★ 狭隘度 ★★★     魅力度 ★★★★★

NO.4 四谷・荒木町の細道
大名屋敷の池だった巨大スリバチ
新宿区荒木町
長さ およそ200メートル
最狭幅 2メートル
歴史度 ★★★★★
狭隘度 ★★★        
魅力度 ★★★★★

 細道と言うにはさほど細くない道なのだが、階段が多いため自動車が通れない場所が多く、なかなか味わい深い。
誰が建てたのか「荒木町奥の細道」などという看板もある。

 荒木町と言えば小料理屋やバーなどが集まった、都内でもやや高尚感漂う渋めの飲み屋街として有名だが、近くにあったフジテレビが移転して以降はやや寂れているという。

 その車力門通りを甲州街道から入って、いったんクランクするところに金丸稲荷という小さな社がある。
うしろは小公園だ。その社殿の脇、隣のビルとの間に細い路地がある。今回はここから出発しよう。

細道入口。左が金丸稲荷の鳥居

細道入口。左が金丸稲荷の鳥居

 鳥居を左手に見て進むと、右の壁に松平容保などの解説が貼ってある。大河ドラマ「八重の桜」で綾野剛が演じた幕末会津藩の殿様だ。

真ん中に石畳が残る道

真ん中に石畳が残る道

 実は松平容保はここで産まれた。江戸時代、周囲は美濃高須藩松平家の下屋敷だった。
そばの坂を津の守坂というのは歴代藩主が摂津守を名乗ったからで、金丸稲荷は邸内にあった屋敷守の社が明治以降も残ったものだ。
高須藩は尾張徳川家の分家で、幕末にはこの高須藩に産まれた4兄弟が、養子などで高須藩だけでなく、尾張藩、桑名藩、会津藩の藩主になり活躍、「高須四兄弟」と言われた。車力門通りの名も屋敷の門の名に由来するという。

真ん中に石畳が残る道

真ん中に石畳が残る道

 さて道にはまもなく石畳が現れ、前方には古びて朽ちかかったような和風の門と建物が見える。
由緒ある料亭だそうだ。
道は階段となり、下にS字に下っていく。
下りきると平坦な場所に出て左手には小さな社がある。
「津の守弁財天」とあり、これも松平家の邸内にあったものだ。
脇には小さな池がある。

津の守弁財天

津の守弁財天

江戸時代、池があれば弁財天を祀るというのが、ほぼ決まり事のように当たり前だった。
降りてきた一角は整然と一戸建てなどがならぶ何の変哲もない住宅街のように見える。

 ところがである。

 周囲を見渡すと、どこにも下る道がない。
それどころか、周囲がすべて急な階段など、登りの道に囲まれている。
つまり、このあたりだけスリバチ状に窪んだ土地なのだ。

 実はこの場所、松平家の庭園の池を造るために、川を大きなダムでせき止めて造った人工のスリバチなのだ。
屋敷ができたのが17世紀の末なので、300年以上前になる。
当時の池は二つあり、下の池は大変大きくて、下ってきた平坦な場所のほとんどは水面だったらしい。
形は細長く、長い部分は100メートルほどもあったらしい。
今ある池はその名残で、弁財天はそのほとりに祀られていたようだ。

 池にはわき水や玉川上水から引いた水で滝があり、徳川家康が馬のムチを洗ったとの伝説があり、池の名を「策の池」という。
池のほとりは小公園になっているが、背後のビルの土台は崖になっており、このあたりを滝が落ちていたのだろう。

策の池

策の池

 江戸のダムはこの先、上り階段になった場所に築かれているが、高さは10メートルはあるだろうか。
隣り合う高台を平坦にして屋敷地にする際出た土で築いたらしいことが、発掘調査でわかっている。
またスリバチに大雨で水がたまりすぎては大変なので、石組みの強固な排水管が地中深く設置されていた。
これは近年発掘されるまで、きちんと下水管として機能していた。

すごいぞ江戸時代!

 この石組みは新宿区の落合水再生センターの一角に復元設置されている。

 明治以降は屋敷の大部分が開放され、池や滝のある景勝地として、芝居小屋ができたり、茶屋ができたりし、さらには料亭や芸者置屋ができていわゆる三業地という歓楽街として栄えるようになった。
荒木町が飲み屋街なのも、もとはといえば大名屋敷の庭園があったからなのだ。

 さて策の池の小公園から右へ回り込んでいくと、休業した料亭らしい建物があり、さらに進むと左右に石畳の道が残る。かつては荒木町中が石畳の道だったようで、復活させよう、といった声もある。
道の両側は今は住宅や小さなマンションだ。時折、スナックやらの看板があるのが往時を偲ばせる。

ポツンと残された街路灯の支柱

ポツンと残された街路灯の支柱

 道は曲がりくねって登り坂となる。
途中のマンションの前に古びたコンクリートの電柱らしきものが建つ。
いつの時代かはよくわからないが、町会で建てた街灯のようだ。
今は灯りが外されて撤去を待っている。
ただの柱ではなく、ウェーブした模様が刻まれている。
同じものがさきほどの朽ちかけたような料亭前にもあったから、昔はあちこちに建っていたのだろう。
名残を惜しむ人たちのメモ書きなどが貼り付けられている。

 そのまま登っていくと先ほどの金丸稲荷の脇に出て、ぐるっと戻った感じだ。

 この道以外にも、モンマルトルの坂、と呼ばれる階段や、防衛省の鉄塔が臨める江戸のダムを登る階段、フレンチレストランが踊り場にある階段など多くの細道がスリバチ底から立ち上がり、枝分かれした細道も多い。

モンマルトルの坂。パリの本物よりはずいぶん狭い

モンマルトルの坂。パリの本物よりはずいぶん狭い

防衛省の鉄塔を見上げる階段

防衛省の鉄塔を見上げる階段

荒木町にはあちこちに細道がある

荒木町にはあちこちに細道がある

何回訪ねても飽きの来ない細道だ。

■細道を実際に散歩した動画です。

細道とは
 ここで紹介する細道は、私・黒田涼の独断で選んだものだが、おおまかな定義は頭にある。
まず、表通りから見えにくく、歩く楽しみと驚きのある狭い道が条件。
自動車は通行できないが、公道もしくは近隣の生活道路として機能していること。
歴史が古く、曲がりくねってアップダウンがあればなおよい。

■著者紹介
黒田 涼(くろだ・りょう)

  • 作家・江戸歩き案内人
  • 大手新聞社にて記者を16年務めるなど編集関係の仕事に携わったのち、2011年に作家として独立。現代の東京に残る江戸の痕跡を探し出すおもしろさに目覚め、江戸歩き案内人として各種ガイドツアー講師などの活動も行っている。江戸と言われる範囲をのべ2000キロ歩いて探索。江戸の街の構造、江戸城はもちろん、大名屋敷、寺社、街の変遷などに詳しい。
  • 各種講座や講演講師、NHKはじめテレビ・ラジオ、新聞、雑誌などの媒体露出多数。「江戸城天守を再建する会」参事 専門委員。

■著書
※各書籍名はAmazon.co.jpへリンクされています

■講師歴

  • 「江戸城天守を再建する会」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 雑誌「いきいき」江戸ウオーク講師 2010年〜
  • 淑徳大学公開講座講師 2010年〜
  • 新宿歴史博物館講演 2011年、2012年
  • 千代田区シンポジウムパネリスト 2012年
  • 三越 日本橋街大學講師 2014年〜

■ブログ
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